事務処理がペーパーレス化されるに従って文書の形式の持つ重要性が失われてきたように思える。
背景には、管理の形骸化、事務処理や業務の流れのブラックボックス化が隠されている。
かつて、システム化の弊害の一つに挙げられた仕事のブラックボックス化である。
つまり、仕事の全体像が見えなくなるのである。
自分で仕事を組み立てられなくなりつつある。
故障しても自分の力で直せない。復旧できなくなりつつある。
事務の基本は書類の作成や読み方、見方から始まったものである。
事務の効率が低下すると文章が煩雑化し、あたかも、書類や資料を作るのが仕事、つまり、手段の目的化が起こる。
本来、目的を達成するのが目的だった手段が、目的化してしまう。
書類や資料を作るのが目的化してしまい、その為に手続きが煩雑になる。
書類や手続きは本来、管理や、仕事を迅速にし、効率化することが目的するはずだったのが、書類や手続きによて仕事が滞ったり、遅延したりするようになる。
ヘッダーやフッターは、単なる余白のように、扱われるようになったが、システム化の初期には、重要な意味があた。
つまり、事務処理や、文書管理を定型化、記号化し、要約、分類、整理し、コード化するための部分だったのである。
ヘッダーやフッターの枢要な部分は、システムに取り込まれ、目に触れることがなくなった。
その為に情報処理の基幹的な部分が表の仕事から見えなくなってしまている。
ある意味で、システムに使われるように仕組みになりつつあるのである。
本来、ヘッダーやフッターには、どのような情報が記載されていたか。
それは、書類の作成日、発信日、受信日、提出日、受付日、作成者、発信者、受信者、宛先、作成目的、回覧先、作成場所、発信場所、受信場所、受付場所(部署)、文書の種類・性格(決済、稟議、提案、指示、命令、報告等)、整理番号(分類、区分、レベル)、コードなどである。
今日では、これらの情報は、システムに自動的に記録されるので、改めて自分たちで記載する必要が、なくなった。
自分たちで、記載する必要がなくなったことによって、考えもしなくなったのである。
要するに、企画書を誰が、いつ、どこで、作成し、それを誰に、提出して、誰がそれを判断するか、これらの情報は、事務の効率化によってどうでもよくなってしまた。
その結果、仕事を組み立てたり、段取る技術も失われつつある。
かつては、項目を決めて仕事の枠組みをし、段落を設ける事で段取りをし、計画書や組織づで仕事の骨格を作った。
その意味が失われ、全ての仕事は、コピー&ペースト。
実際にやろうとしても、どうしたらいいかわからに。
上っ面だけで内容がない。
名ばかりで実がない。
見せかけだけの仕事になってしまった。
それが、組織を徐々に脆弱化している。
一旦、システムがダウンすると、当たり前な事務処理や業務処理すら人力ではできなくなりつつある。
そして、人間はだんだんに馬鹿になり、システムに支配されつつあるのである。
システムが悪いのではない。
人間が怠惰になり自分の頭を働かせなくなったのが悪いのである。
事実関係だけを見れば仕事は見えてくるのである。
同じ項目を同じように聞くから、違いが判るのである。
違う項目、違ったやり方できても違いは判らない。
ビックデータで一番価値のある情報は、ヘッダー、フッター部分に隠されているんです。
例えば、事件が起きた時、メールや携帯電話で一番有効なのは、位置情報と時間である。
書類というのは、空の弁当箱のようなもの。
どんなに美味しい料理を作っても。盛る皿がなければ、お客をもてなす事はできない。
今は、作る事ばかり考えて、後先の事が考えられなくなったのである。
皆で手分けして料理を作り、共同して盛り付けていく。
それがチームワークなのである。