経済には、変化がある。
成長だけが総てではない。
創成、成長、成熟、衰退、再生の段階がある。

その段階に合わせて、経済構造や規制、行動規範を見直し、変えていく必要がある。
変革は、価値観、倫理にまで及ぶ、だから哲学と信仰が求められる。

日本の現状は。多くの教訓を示している。
第一の教訓は、日本人は驕り高ぶり、現実を直視し、現実から学ぶことを怠った事にある。

運動は、回転運動か、直線運動を基本とする。
直線運動は、変化をもたらさないから、変化を起こすのは回転運動だと考えていい。
回転運動の変化は波動として表面に現れる。

貨幣経済は、「お金」の循環によって機能している。
故に回転運動が基本にある。

経済は、成長拡大だけが全てではない。
むしろ成熟期のほうが長い。
経済が成熟したのに、成長をベースにした政策をとれば、経済は破綻する。

現在の日本がその好例である。

高度成長の終焉、低成長時代と円高不況。
高度成長とは何か。


戦後は、飢餓の市場から始まった。
戦争は、日本の社会や市場を白紙に戻した。
戦後の日本は焼け跡の中から復興したのである。
まだ低価格の土地を担保に借金をして、投資をし、投資の成果としての商品を市場で売って、それを、所得に変えて、家計に供給する。それが、地価に反映して地価を右肩上がりに上昇させた。
それが好循環になって戦後の力強い成長を促したのである。
家計は、労働力を供給し、その対価として所得を得て、その所得で市場から商品を購入する事で「お金」を企業に還元する。
価格(収入)、費用(支出)、所得(分配)これらの関係によって「お金」は循環する。

高度成長期は、市場が飢餓状態だったから。
物が売れて、費用を吸収し、所得を押し上げるという好循環が持続できた。
また高度成長を支えたのは地価の高騰と市場の拡大が連動していたことである。
高度成長時代は質より量が優先された。大量生産、大量消費。
それでも、市場は、生産財を吸収する余力があった。
ところが、高度成長の末期には、市場が飽和状態に陥り。
先ず、収益が頭打ちになり、費用を吸収しきれなくなった。
その上、機械化、合理化によって、労働力があまり、所得の上昇も望めなくなった。
その時襲ったのが円高不況である。

高度成長がピークに達して市場が過飽和な状態に陥った。
その時、円高に向かい、過剰な資金が供給され行き場を失った資金が資産に向かった。
市場が成熟し、量から質へ転化すべきところを、規制を緩和して無原則な競争を促した。
その結果、市場の独占、寡占が進んだのである。
産業は、再編を繰り返し、中小企業は淘汰されていった。

市場が過飽和になり、所得が高止まり状態に陥ったら量から質への転換がはかられなければならない。
大量生産から多品種少量生産へ、高価格だけれも、高品質な商品に。

まず、市場が過飽和な状態にある事を認める必要がある。
その上で、量から質への市場を転換させる必要がる。
これは、百八十度の転換で行動規範にも及ぶ。
つまり、使い捨てから、長く使いこむ価値観への転換である。

節約の意味が違ってくる。生産段階での節約から消費段階での節約に。

本来なら、質への転換によって所得を維持すべきなところを、金融資産に予て収益の不足を補を鵜とした。
結果、行き場を失った資金が土地に向かってバブル引き起こした。

土地を担保に資金繰りをしてきた経済の悪弊が出たのである。
地価の高騰が人々狂わせ。
地価の下落と底の値での停滞が、経済成長に急ブレーキをかけた。

そして、地価は実需と乖離して上昇し市場が成り立たなくなって崩壊したのである。
問題はその時とられた政策にある。

一つは、質への転換は、市場価格を抑え、品質による競争に重点が移るようにすることである。
また、土地を担保とした経済から、将来の収益を担保とした融資へと転換する。
つまり、新しい産業のインフラの整備に照準を合わせるべきところを、とられた政策は正反対だった。
とるべき政策は、急激な地価の暴落に歯止めをかけ、一方で荒廃した市場を不況カルテルや規制によって養生をする事だった。
また、雇用の安定を図って所得を確保する。ところが、非正規採用者を増やす政策がとられた。
強引な不良債権の処理は不動産に代表される資産市場の底を抜き回復不能な状態にしてしまった。

規制緩和は、デフレ政策だという事を忘れてはならない。
結果、安売り業者の天下となり、市場の独占寡占が進んだ。
市場は多様化するどころか画一化され、産業は無人化された。
また、所得は長期間わたって横ばいか低下。

生産と所得と費用、そして、通貨の流通量、地価の上昇率の位置と動きと関係ですね。
好景気の要因が市場の拡大によって価格(物価)が上昇し、それが費用を押し上げ、所得も上昇するという循環なのか。
地価の上昇が、通貨の流通量を増やした結果なのか。

どこの要素が、何が全体をリードして景気を引っ張ているのか。
それによって、政策は決められるべきなので。

重要なのは、その時点その時点で複数の要素が作用しあっているという事で、モデル化しないと精度の高い予測はできない。そこは将来的には生成AIに任せないと試算できなくなる。
要素は、所得、物価(価格)、費用(支出)、失業率、金利、税の構成、財政、為替、人口構成、産業構造、市場の段階、研究開発人口、地価の動向等など多岐にわたり、人間には不可能です。

人は早く自分の限界を認めAIの力を借りつ事を覚えないと。

バブル崩壊後、規制緩和を万能薬みたいに考え、競争を原理みたいに言われてきた。
また、マネーフローばかり重視するが、もっとトータルに考えないと判断を誤る事になる。
規制と言っても個々の規制の目的は違う。
規制を緩和すべきところもあれば、逆に、規制を強化すべきところのある。
大切なのは調和であって、どのような状況を望んでいるかで、善悪の問題ではない。
それは、病気を善悪で語るような事である。

今一度思い出さなければならないのは、独占禁止法の精神である。

独占禁止法は、過度の寡占独占を禁じていると同時に不当な廉売を禁じている。
それは、公正な競争を維持し、質の高い消費をまもるためである。
その為に規制がある。
規制はモラルであり、法である。
なぜ、公害が起こり、環境破壊が起こったのか。

独占禁止法の精神は、適正な価格、適正な費用を維持する事である。
ただ安ければいいというのではない。ただ競争すればいいというのではない。
ルールのない争いは競争ではない、闘争でしかない。

何を神はお示しになっているのか。

規制緩和は万能薬ではない。かといって何でもかんでも規制すればいいというのではない。

大切なのは規制の目的。

規制は、人々の生活を守り、弱い者の味方となり、環境を保護する目的で制定された。
ただ、役割を終え、時代や環境に適合しなくなった規制は、既得権化し、階級格差を生み、適正化競争を抑制し、成長の阻害要因となり、市場を硬直化する。

環境状況に合った規制をすべきなのである。

何が人間を惑わし、狂わせるのか。

それは強欲である。
人々が、食べていけるようにするのが第一の目標のはず。
それなのに強欲は自分の欲望を満たすことを最優先にして、人に対する思いやるを忘れる。
その結果、富むものが、財産を争って醜い争いをする。
愛に背く。貧しい時には少ない食べ物を分かち合って生きていた者たちが、なぜ。

神は、何をお示しになっているのか。