なんだかハッキリしない事が多い。
と言うか、ハッキリしないし、ハッキリさせない。
ハッキリ決めてよ。ハッキリさせてよって言いたくなる。
要は、決められないのである。
やるのか、やらないのか。
ハッキリしなさいよ。
もう、煮え切らないんだから…。
曖昧模糊として、何が、決まっているのか、何を、決めたのかわからない。
ただ何となく決まっているような、決まっていないような、ハッキリしない。責任の所在が曖昧(あいまい)なのである。
誰が決めたのか、誰が決めるのかも、ハッキリしない。はっきりさせない。
最初から曖昧。無責任なのである。
当然だれも責任をとろうとしないし、責任が持てない。
最初に決断しないからである。
決められない。決めない。
男は、決断しなければ子供を作れない。だから、男は子供に責任を持てと言われた。
欲望の赴くままに子供が出来たなんて言い訳は許されない。
だから、かつては、男は自制した。
同じ屋根の下で一夜を過ごしたとしても何もないという事が信じられ。映画でもそう演出されていた。
今は、何もないはずがないと誰も信じない。意気地のない話である。
情けない。要するにハッキリしないのである。ハッキリしない事は、疑られても仕方がない。
私は、父に即決するように育てられた。早く決めろと…。
店で何が欲しいと聞かれ。即答できなかったら何も買ってもらえなかった。
早く決めろ。考えるのは決めてからにしろ。考えたら何も決められなくなるぞと厳しく躾けられた。
今の親は、なんでも、考えて。考えて。考えて決めろである。
子供が決めても、よく考えてと決断を鈍らせる。
だから優柔不断になる。何も決められなくなる。
考えれば迷う。迷えば決められなくなる。
平常心で決める。平常心で決めるというのは、決断は感情でするからである。
考えるのは、決断以前の話である。考えて考えて考え抜いて、考えられなくなったら決断する。それは常日頃の心がけ。研鑚。いざ決断するとなったら、一切の考えを捨てる。一刀のもとに断じる。それが決断である。断じるのである。
決断は一瞬でできる。一秒もかからない。要は心持ち一つだ。
決断するのは、その時である。後でではない。
男子たる者、決断が出来なくてどうする。決断したら覚悟してやり抜け。
それが日本男児だ…。
今は、ハッキリしない。決断できな奴ばかりだ。決めろ。
決断とは、直観である。気合である。その時である。タイミングである。決して断じる。それが決断である。決断は、場数を踏んで第一勘を磨くしかない。決断は勝負である。
勘違いしてはいけない。決断は感情でする。決断は、論理的にするものではない。決断は意識できない部分もでする。決断とは飛躍なのである。
どこかの脳科学者が意識しないところで決断するから、決断には意志がないなどと馬鹿げたことを言っていたが、当たり前な事である。意識して決断できるわけではない。意識は、単なる軌跡に過ぎない。決断は、断じる事、意識が飛躍する事なのである。
だから、考えたら決断できない。
判断は、他人の意見を聞いて、決断は自分の意志でする。
考えて、考えてなんて言っているから決断できなくなる。だから、ハッキリしなくなる。政治家も、経営者も、責任者も誰も決断しない。だから、ハッキリしない事がどんどん増えて、無責任な世の中になる。
若者よ。決断しろ。決断して覚悟しろ。そして、責任を持て。
エイヤーって決断してから考えろ。そうしないと何も始まらないじゃあないか。
臆病になるな。卑怯なマネはやめろ。言い訳はするな。
ハッキリしろ。それが男だろ。