チームワークを理解できない人が増えている。
チームワークを忌避する人が増えている。
それは、チーム、組織に対する間違った教育しているからである。
いわく、組織は、規則によって人を縛る。組織は個人の自由を制約する。
現代社会は組織の上に成り立っている。
組織は、社会の基盤と言っていいのに、なぜか、組織を悪し様にいい、組織を悪役にする。
その為に組織嫌いを増殖させている。
なぜか、漫然と組織は嫌だ。
厭だと思い込んでいる人がいる。意味もなく。
組織に縛られるのは嫌だ。組織は自由の敵だというように。
しかし、本当に、組織は、自由の敵なのだろうか。
組織が悪いのではなく、良し悪しは、組織の在り方で定まる。
組織は、その本領を発揮した時、莫大な力を発揮する。
機能的な組織は、美しい。華麗だ。
組織はすごい。素晴らしい。
組織は変幻自在に動く。
チームワークとは何か。
チームワークというのは、チームで仕事をする事。
ではチームと何か。
チームとは組織である。
チームというのは、複数の人間が、一定の目的によって、分担を決め、助け合って関係づけられた集団である。
チームとは、一人のリーダーによって率いられた、合目的的集団である。
チームは、何らかの目的をもって結成られた集団である。
目的を持って人が集まり、何かを成そうとすれば、そこに、チームが生じる。
チームとは、そういうものだ。
チームには全体と部分がある。
チームの最小単位は、一人のリーダーと複数のメンバーによって構成されている。
チームを構成する者は、全員、役割を分担し、関係づけられている。
全体を統制、制御する為に必要な働きと部分、即ち、個人の働きがある。
つまり、全員が守るべき事と個人としてまかされた事がある。
全体に対する責任と個人が担う責任がある。
全体の中の一人であって、個人として一人とは違う。
チームの一員であって常に、チームの一員としての行動が求められる。
チームのメンバーは、一人ではないのである。
チームワークには義務と権利がある。
義務と権利は全員に共通に与えられている力を言う。
権限と責任がある。
権限と責任は、役割に応じて一人ひとりの与えられる力である。
チームワークというのは、チームのメンバーが、協力し、助け合い、連携して、分担し、一つの仕事を成し遂げることである。
チームワークとは、チームでやる仕事。
言い換えると、自分一人でやる仕事ではないという事である。
方針も目的もチームワークで決める。
チームワークは、集団で、分担し、共同して、やる仕事。
集団でやる仕事である以上、一人でやる仕事とは違い、集団としての守らなければならないルールがある。
また、方針や目的と言った、組織には、固有の制約がある。
一人でも、勝手な行動をとると収拾がつかなくなり、組織は、分解してしまう。
だから、目的や方針を一つにまとめておく必要があるので。
一人でできる事なら目くじらを立てる事はない。
しかし、一人でできる事は、チームでは限られている。
チームは統一的行動が求められる。
なぜなら、組織は合目的な機構であり。
行動の整合性が必要とされるからである。
チームワークでは、一致団結、結束、連帯が求められる。
見事な統帥は人を陶酔させる。
なぜ、チームで仕事をする必要があるのか。
チームワークの必要性は何か。
そもそも、仕事は、一人ではできない。一人では生きられない。
つまり、チームがなければ、現代人は何もできない、生きられない。
また、ひとりの人間にできる事には、限られている。
組織の根本は、分業で、二人よれば、組織はできる。
家族でも、友達でも、人が寄れば組織となる。
社会そのものが組織である。
好き嫌いに関わらず、人は、社会で生きていこうとしたら組織から逃れられない。
チームワークを考える時。作業の質、量、密度が鍵となる。
チームをワークをするのは、一つは、時間的要因、一つは、人的要因、一つは、物理的、空間的要因、一つは効率的要因による。
時間的な要因というのは、仕事には、同時並行的作業によって時間的制約を省くような例である。
仕事には期日があるという事である。
つまり、一定に期日に仕事を仕上げる必要がある事で、並行作業にせざるを得なくなる。
人的要因というのは人の能力には質的、量的限界がある。
物理的要因というのは、離れた場所で同時に作業をするような事である。
チームワークは、チームが編成されてから、結果を出し、チームが解散するまでの間に発揮される。
仕事というのは、時間がかかるのである。今日言われて、明日できるというわけにはいかない。
家を建てる際も、建物が表に現れるのは、相当時間が経ってからで。
まだ、時間があるからとか、どうしよう、どうしようと言っているうちに時間が経つ。
一年、半年と時間を与えられても、着手するのが一週間前だったら一週間しか時間は与えられない。
それで時間がない、できないと泣いても、自分の責任。
チームは合目的集団であり、共同して仕事をしていくのだから、目的や方針を共有する必要がある。
仕事とは、やる事だから、結論よりやる事を考える。
結果は不確実な事で定めではない。
組織は仕組みであって、論理ではない。
チームワークでは、結果は、目標であって決まり事ではない。
チームで決められるのは、過程であり、やる事である。
結果は予測する。
試合は、勝つと決まっているわけでも、決めるわけにもいかない。
試験は、合格すると決めつけるわけにはいかない。
自分達に出来るのは、練習と勉強である。
そして、本来、試験の結果より、試験のための勉強、試験勉強にこそ重きがあった。
しかし、今は、勉強そっちのけで、試験の結果が重んじられる。
勉強をさせるために試験したので、試験の為に勉強したのではない。
仕事は、1+1は2とか、フランスの首都は、パリというような1対1対応とはいかない。
結論よりも、結論にいたる方向を統一する必要がある。
だから、方針なのである。
学校の試験では、正解は一つときまっている。
一つでなければ、試験はできない。
しかし、現実の世界では、答えは、一つではない。どちらかといえば、答えは、創作である。
だから、答えそのものより、どのようにして答えを導き出すかが鍵なのである。
例えば、方針を決める指示されたら、方針はといきなり、結論を出そうとせず。
方針を出すために、何をしたらいいか。やるべき事は何かを考える。
無論、方針を一人で決める事は出来るが、その場合、方針を決めることの意味が薄れる。
なぜなら、方針を決める目的は、全体、皆の働きの方向を一致させることにあるからである。
方針の決め方に意味がある。
サーカーは、一チーム、十一人、二チームで二十二人、その上に、審判が四人、同時並行作業をしている。
サーカーは、同時並行作業によって成り立っている。
一チームの十一人は、全員が各々役割を持ち分担してプレイをする。
チームは同時並行作業の存在を前提に成り立っている。
ある意味、同時並行作業があるから組織は必要とされるともいえる。
並行作業が生じるのは、作業を直列的につなぐと、相互牽制が効かず、作業を制御、管理できなくなる。
いつまでに、誰がどうやって決めるか。それに意味がある。
更に、誰に、何をさせるか、また、枠組みをどうするか。
最初から、組織的に、また、段取りを考えながら、組み立てる。だから、アートなのである。
何でもかんでも、一人でやろうとしたら、チームはできない。
チームができなければ、チームワークはできない。
監督が一人で練習しても、チームワークはできない。
意思決定も分業できる。
意思決定を分解すると提案、決裁、承認となる。
組織的決定は、言葉と行動からなる。
意思決定は、言葉と行動に分解できる。
決定された事は言葉に表す必要がある。
決まられた事は、チームに認知されなけらば、発効しない。
組織的に認知されなければ、決定されていないのと同じ。
ストライクもボールもセーフもアウトも審判がコールしなければ、誰も、認知しない。
声を出して、宣言するから有効となる。
つまり。決定は皆がわかる様に示されなければならない。
故に、決定は言葉として表される。
リーダーは、決めた事を言葉で表し、その上で指示に従って行動に変換する必要がある。
行動とは作業である。
言葉は、名目であり、実体は行動にある。
行動の伴わない仕事は虚しい。
会議をすると決めたら、会議ができるように準備する。
決めたら終わりではなく。決めてから、仕事が始まる。
決めても何もしなければ、総ては後手ごてになる。
決めるのも分担、仕事も分担。チームで共同で実行する。
決めたら速やかに次にやる事に着手する。
間を開けると節目ができる。
節は作るな、そこから魔が指すと躾けられた。
次の会議は、目標となる。
次の会議に何をするのか、それまでに何をするのか、それが仕事である。
会議の結果は分からない、ただ、会議でやる事は予測がつく。
定例会議は、里程標である。だから、はじめに定める。
目標となる指針がなければ、自分の位置を見失う。
目標を定めないで仕事をするのは、タクシーに乗って目的地を言わないような事。
自分達がどこへ向かっているのかもわからなくなる。
方針が出たからと言って終わったわけではない。
方針が決まったからと言って結果が出たわけではない。
方針は、結果ではない。
方針を決めてから、次に、何をすべきかが問題なのである。
考えるのもチームワーク。提案するのも、分担してやる。
分担して調べ、分担して資料を作り、提案書にする。
キャンペーンとコンテストの違いがわからなければ、他の人に違いを聞いてみる。
一度聞いたくらいでは、指示や結論を理解できないのが普通。
また、確認が取れない。
だから、人を変えて確認する。やり方を変えて確認する。
担当を決めて、改めて指示や結論を核にし、紙に書かせる。
自分の聞いた事と一致するかを確認する。
一致していなければ確認する。
その際、具体的に何をするか仕様、要件に置き換えて確認をする。
この様に、言われた事を文章にして確認し、仕事の仕様(日時、場所、作業、担当、予算など)に置き換えて確認する。
この様なやり取り繰り返して、指示や決定の真意を引き出し、分担する事でチームワークにしていく。
担当を決めて実際にキャンペーンとコンテストの企画を立てさせてみる。
企画を立てさせ、周囲の反応を視て、自分の考えを改める。
その上で、誰の案を採用するかをきめる。
それがチームワークである。
わからないので、一人で抱えて悩んでいたらチームワークは生まれない。
最初から、みんなで協力して解決していくからチームワークは発揮されるのである。
三人寄れば文殊の知恵。これがチームワークの原点。
野球の監督、コーチの役割は、自分が野球をする事ではなく。
選手に野球をさせる事だからね。
選手が可哀想だかわ、自分が厳しい練習をしても誰も評価しない。
選手が、未熟だから、経験不足だからといって、選手を゙試合に出さなければいつまでも選手は、育たない。
野球は、一人ではできない、自分一人で監督から、コーチから、選手まで一人でやろうとしても最初から無理がある。
チームワークは、自分の限界に気づき、他人を認める事によって成り立つ。
俺一人。
俺一人でできる。
俺が一番。
おらが、おらがでは、チームワークはできない。
逆に、俺一人、我慢すればいいとか。
俺一人の責任だとか。
俺一人くらいとか。
俺にはできないとか。
自分を卑下するのも困る。
担当者の仕事には、自ずと限界がある。担当が受け持つ作業は、単位作業であり、通常は複数の作業が並行して走っているから。
その限界を補い、作業間の隙間を埋め、作業と作業を組み立て
進捗を管理し、全体のバランス、調和を保つのが、マネージャー仕事である。
担当者の仕事には、自ずと限界がある。担当が受け持つ作業は、単位作業であり、通常は複数の作業が並行して走っているから。
その限界を補い、作業間の隙間を埋め、作業と作業を組み立て、作業の順番を決め、流れを整え、進捗を管理し、全体のバランス、調和を保つのが、マネージャー仕事である。
自分の弱さ、弱点、欠点を受け入れ認めなければ、チームワークは成り立たない。
相手の、長所、いいところだけでなく。
相手の嫌なところ、欠点、醜さ、弱点をも受け入れ、なおかつ、協力していこうとという意志がなければ、許し合う心がなければ、チームワークは成り立たない。
できないならできないと早く認めてもらわないと。
かといってできませんと最初から受け付けないのも困る。
ある程度やってみて、また、周りの助言、指導を得て、決めるべき時に決める。
組織的に決めるといっても、一筋縄でいかない事が多い。簡単ではない。
なぜ決まらないのか。
その多くは、決める為の手順や段取りがわからないという事が理由で。
ところが、多くの場合、手順や段取りが悪いからと思わずに、個人的な事に原因を求めがちである。
しかも、昔は、序列が決まっていて、なんとなく、手順も定まっていることがほとんどだった。
それが、現代は、序列が不明確になり、一々、道筋をつけないと、何も決められなくなってきた。
たとえば、家族で旅行をしようとした時。家族構成が、夫と妻、長男と次女、夫の父と、妻の母とする。
この時、決定権を誰が持ているかをはっきりさせる必要がある。
決定権といても、誰と行くか。どこに行くか。いつ行くか。
全権を一人で握っているとは限らない。
かつては、夫の父親が全権を持っていたケースが多い。
しかし、今では、子供にまで決定権が移っていることがある。
決定に至るまでの道筋を決めておかないと、何も決められない。
それが厄介なのである。
仕事では、先ず、誰が、何を、どのように決めるかの手順を明らかにし、予め、決めておく必要がある。
誰と相談して、誰が決めるのか。
今回は、例えば、妻から「どこか旅行でもしない。」と提案したとする。
「それはいいね」と夫が同調して決まったとする。
誰から提案し、誰が決めるか。
しかし、そこからが問題である。
次に誰を誘うかが問題となる。
日も決めなければならないし、場所も決めなければならない。
それを、夫が一人で決めるわけにはいかないし。
かといって、みんなの意見を一々聞いていたら、何も決まらなくなる。
家族旅行にいく事になったとみんながいるところで伝えたら、素直に従うかも問題だ。
要はどこから着手し、誰の意見を聞き、どういう順序で話を進めるかの問題だ。
手順を間違えると、総てが台無しになる。
これは職場だって同じだ。
先ず、誰が決めるのかを明らかにし、手順段取りを先に詰めておく。
それが、組織決定の鉄則である。
先ず、日程をどうするか、誰と相談して、誰が決めるのか。
決めるという事には手順段取りがある。自分が決めたと言えば決まるほど簡単ではない。
やる事をすべて洗い出して、順序良く進めなければならない。それが実務である。
たとえば結婚である。自分が結婚すると決めれば結婚が決まるわけではない。
先ず、相手にプロポーズをして相手の了解を得る必要がある。
これも決まりがあるわけではなく、都度、双方で話し合って決める。
次に双方の両親から許諾してもらう事が求められる。
そして、以前なら、仲人を立て、結納をと。
さらに結婚届を出す必要がある。
今はこれらの手続きを省略することが多い。
しかし、組織的に決めるという為には手続き段取りがある事だけは変わりない。
それが面倒くさいというと、なにも決められなくなる。
後は惰性にまかせるしかない。
職場の仕事というのは、総てがチームワークで、僕は嫌だからとか、やってないからと言って職場放棄する事は許されない。
それは試合中に、守備位置から許可なく離脱するような事で。
チームワークには筋や線があって、どの筋を使うか、どの線を使うかという事はある。
この人が捕球しなければならないという事はない。
ただ、捕手が外野に行って捕球するという線も筋もない。
しかし、一塁手のバックをとるという線はある。
チームワークをするためには、決まったことをメンバーに伝える必要がある。
決まったことでも、メンバーに伝わっていなければ、メンバーにとっては決まっていないのも同じ。
決定は、チームのメンバーに伝わって初めて決定になる。
ゆえに、最終的には決定をいつ、どのような筋、線、経路で伝えるかの問題となる。
組織は、指示命令で始まり、報告確認で終わるという所以である。
誰がどのようにして決めて、決めたことを、どこで、どうやって公にするのか。
その上で、それぞれ当事者に誰から指示をするのか、関係者に伝えるかを予め詰めておかないと、何も決められなくなる。
会社でも、役所でも、組織的な仕事は、最初からチームワークだという事。
チームワークと言うのは、人の集合と、作業の集合が結び合って形成されている。
人と人、人と作業、作業と作業の結びつき、関係を理解しないとチームワークは理解できない。言い換えると仕事ができない。
仕事が理解できなければ主体的に仕事に関われない。
何をしたらいいか、自分一人、わかっていればいいのではなく。
仕事に関わる者、全員が、各々自分の役割、やることがわかっていないと、チームワークは、成立しない。
チームワークの前提は、全員が自分が何をしたらいいか理解している事。
つまり、全員に役割が与えられている事が前提となる。
イベントにせよ、予算にせよ、教育にせよ、営業にせよ、組織的に仕事をしようとしたら、関係する部署に担当が置かれている事が前提とされる。
組織的に仕事をする為には、先ず、人員を配置する。
やる事を先に決めると始まらない。
野球も守備位置につかないと、試合は、始まらない。
まず、人員を配置する。
次に、仕事を特定して、人と仕事を結びつけて指示を出す。
指示をする事で、筋を通す。
指示は相手がいないと出せない。
仕事は、指示と作業、人を結びつけることで成り立っている。
作業は、いくつかの行為、動作を繋ぎ合わせる事で成り立ている。
スポーツの世界でも時々ある。
ボールを投げようと思ったら、相手がいない。
ただ、最初から、担当がいない、配置されていないという事はあり得ない事で。
投手がボールを投げようとしたら捕手がいない。
投手が投球ファームにはいったので捕手を決めるというのは本末転倒なので。
しかし、仕事では時々見受けられる。
泥縄の仕事はするな。
最初に守備位置を決めて、全員が配置についたのを見極めて、試合開始の宣言がされる。
この順序は会社の仕事も同じ。
実際に仕事をするのは担当なので、センターと現場にそれぞれ、担当を置いたうえで、センター長から現場の長に指示を出し、現場の長から担当に指示をすることで全体の統制、均衡を保ちつつ、詳細を担当者間で詰めさせる。
これが組織。
ボールが飛んで行ってから配置を決めても手遅れで、順序が逆なので。
担当を決めてから、仕事を割り当てる。
タスクにリソース(資源、物、金、時間等)を割り合て、タスクを結ぶつけて仕事にしていく。
実際に作業をするのは、担当である。
作業は、前提条件や状況、環境の変化にとって代わる。相対的である。
最初から、決めつけることはできない。
一塁に走者がいる場合と、いない場合では、守備のやる事、作業は違ってくる。
時々刻々、状況の変化によってタスクは変化する。
作業を洗い出しながら、担当に、作業を割り振っていく。
だから、最初に担当を配置しておく必要がある。
担当を決めて先に回線を開いてから、指示をする。
指示をしたくても相手がいなければ、指示はできない。
方針を決めるとか、場所を決める事を任されたら。
いきなり、方針は、安近短とか、場所は、東京の浅草とか決めつけるのではなく。
先ず、どのように決めるかを考える。
どうやって方針を決める。
先ずどうする。
その前に、仕事の前提条件の確認。
主管部所は決まっているの。
誰を担当にする。
期日は。
制約条件はある。
どこで、どのように決めるかハッキリしている。
主管部所の責任者が決めるの。
社長が決めるの。
担当が決めちゃっていいの。
どこまで任せられているかハッキリしている。
その上で具体的にどうするか。
社長の話を聞く。
皆の話を聞く。
去年の結果を見て見る。
アンケートをしてみる。
旅行会社の話を聞く。
インターネット調べる。
AIに聞いてみる。
さらに深堀していく。
何をするか誰が決めるの。
担当が決めていい。
それとも、上司の承認がなければだめ。
自分が提案するから、上司に決めってもらう。
こういう事を一つひとつ詰めていく。
それが実務。
社長の話を聞いてどうする。
誰が聞く。
誰から、話を持ち掛ける。
聞いた後どうする。
こうやって、深堀しながら、最終的にどのように決めるかを絞り込んでいく。
あれもしなければ、これもしなければと、はまってしまうと決まらなくなる。
だから、筋を通せと叱られた。
筋をとして、落としどころを予め決めておかないと、いつまでも決まらないぞと。
落としどころは考えておけよ。
そうしないとどこに話をもっていけばいいかわからなくなる。
任せられたんだからと、勝手にしていいなんて、思い違いだぞ。
報告しなくてもなんて、とんでもない。
任せられたらこそ、丁寧に、相手が納得するよう報告しなければ。怖くて。
それが原理原則だけど、これが絶対という事はない。
そこが腕の見せ所。
親父たちには、自分の土俵で相撲を取るか。相手の土俵で相撲を取るか。
相手の土俵じゃなくて、自分の土俵に上げる事だよと。
それが段取りね。
なぜ、そうするのかって、意義・目的は自分で探せ。
「自分の土俵を持てなければいつまでたっても、相手の土俵で相撲を取る事になるぞ」と。
空間的理由がある。離れた場所で同時にやらなければならない事があるからチームワークが必要とされる。
全支店が同時に一斉に、仕事に取り掛からなければならない事がある。
その場合は、予め、総てに支店に担当を置く必要がある。
離れているところで、同時に並行的な作業をするために、担当を置く必要がある。
タスク、タスクという人でタスクの意味を理解していない人がいる。
タスクというのは、それ単体で存在するのではなく、他のタスクと連携する事で成り立っている。
つまり、タスクには、位置と働きと関係がある。
例えば、購買というタスクはない。タスクは一連の業務フローなので、名目的に捉えていたら理解できない。
複数のタスクが組み合わさる事によって目的を達成する事が可能となる。その為に、タスクは、時間や人、働き、場所と言ったいくつかの要素によって構成されている。
グループ毎にタスクが違ってくるために、担当を置く必要がある。
流れに沿って仕事や組織は、変化する、故に、要所ようしょに担当をおく。
例えば、販売店研修会は、企画チーム、ラインのチーム、そして実施チームの三のチームが走っている。
展示会などは、センターのライン、スタッフ、現場と三チームを編成し、準備、実施、後始末と段階ごとにフォーメーションを変える。
このように組織は立体的なのである。
タスクは、伝票、証憑書類の流れによって結びつけられている。
プロジェクトのような仕事には、立ち上げ、組織編成と準備、作業実施、終結のライフサイクルがある。
そして夫々立ち上げタスク群、組織編成と準備タスク群、計画作成タスク群、実行タスク群、監視コントロールタスク群、終結タスク群といくつかのタスク群を形成する。
タスクには、このようのプロジェクトのような非定常タスクと定常タスクがある。
タスクにはライフサイクルに沿った流れがある。
発起人・提案者がいて、決定権者がいて、承認者がいて、発令者がいて、実行者がいて、管理者がいる。
この流れに沿って仕事が派生する。
提案は、案の作成、決定は、手続き、承認されたら、実施責任者を指名し、実施責任者が指名されたら、発令をする。
どの部門の誰が発起人となるか、起案者になるかは、確定しているとは限らない。
起案者を決めて筋を通す事で配置を定め、仕事の段取りをする。
流れに沿って仕事や組織は、変化する、故に、要所ようしょに担当をおく。
組織は一定しておらず、段階や曲面、状況の変化に従って絶え間なく変化し続けている。
守備と攻撃では、チームの編成、フォーメーションは変わる。
同じ事を三度繰り返せば、千日手となる。
最初からやり直し。
同じ議論を三回以上やるのは、気がついたら、同じ話を三回、同じメンバーで、同じ場所でしていたら、それは千日手。
堂々巡りで、消耗するだけ。
「仏の顔も三度まで」という格言もある。
やっていないなら、やる事を考える。出来ないなら、出来るようにする。分からなければ分かるようにする。
いつまでも、「やってません。」
「なぜ、やらないの。」
「すみません。」と繰り返すばかりでは、一歩も前進しなくなる。
やらなければならないなら、やってませんではすまされない。
いつまでに何をやるのかを考える。頭を切り替える。
作業を組み替える。
何をしたらいいか考える。
分からなければわかる人に聞く。
やらない理由、できない理由は、これからやる事に、影響しない限り、聞かれなければ言わない。
必要もなく、やらない理由、できない理由、わからない理由を言っても言い訳になるだけ。
仕事上邪魔になる。
他のメンバーは、やるのを待っているし、できないでは済まされない。
一人の仕事は、一人で完結せず、他の人の仕事と連携している。
やるべき仕事を一人でやってないと、影響は全体に及び、最悪、全体が停止し、全員、やり直しになる事もある。
他のメンバーやお客様にとってやらない理由、できない理由は、関係ない。
彼らが知りたいのは、いつまでに、確実にやってくれるか。
他の事は言い訳にしかならない。
そんな時にやらない理由やできない理由をだらだら言われても火に油を注ぐこと。
約束を守れなかったら、みんなに迷惑をかけたのだから、謝る。
その上で、いつまでに、やるべきことをやるかを明らかにし、再度約束をする。
約束は守る。やると言ったら、確実にやる。やり抜く。
具体的に、いつまでに、何を、どこまでやるかを責任をもって約束する。
一人でも欠けると全体が止まる。
やってない、できないでは済まされない。
やっていないと言っても、それでは済まされない。
重要なのはやってないという事実で。
やっていないことが判明した後、何をするかが鍵なので。
結果はまだ出ていなければ、失敗の原因を上げたら失敗をさそう。
やってないといったも、やらなければならない事なら、やる事を考える。
それは、遅延したことが問題なので、いつまでに、どこまで確実にできるかが課題。
ダンスメンバーでも全員が踊れるようになるまで、同じダンスを繰り返すことになる。
やっていなければ、やる事を考える。
いつまでにやり終えるかを考える。
そのために、できなかった理由を挙げることは許される。
「品物の入荷が1日遅れたので、明日、納品します。」みたいな。
それ以外は言い訳になる。
「昨日、体調を壊して」とか。
「寝坊して」とか
「うっかり忘れて」とか
「他の誰かが、やっててくれると思って」等など。
「言い訳をするなら、結果が出てからにしろ」と。
やっていない、できていない事は自動的に作業の延長になる。
故に、いつまでに、やり遂げ、報告するかを明確にすることが求められる。チームワークの成果は、チーム内で共有されるからで。
期日までに納品ができなければ、いつ納品するのかを明確にすることが求められる。
やらなかった、できなかったことを理由に仕事を途中で投げ出すことこそ許されない。
野手が、エラーしたからと言って戦線を離脱する事は許されない。
速やかに、エラーを解消するための行動が求められる。試合は続いているのである。終わってはいない。
エラーしたからと言って固まっている方がとがめられる。
なぜ、やってない理由、できない理由を言ってはならないのか。
それは、一つは、時間の無駄になる。
いくら問いただしても、言い訳にしかならず、解決はできないから。
一つは、理由や原因は分かっても、やってない事に変わらない。事実は動かないから。
一つは、やってない事から被る被害は、許されないし、認められないから。
一つは、結果が出ていない以上、先ず、いい結果を出すために意識を集中させる必要があるから。
一つは、どうあろうと、結果が出る前は、言い訳に対し、肯定も否定もしにくい。黙っていると。言い訳が自分いも相手にも容認されたかがごとき錯覚を引き起こす。特に、それが許されると若者が錯覚すると(自分に対しても)言い訳をするようになる危険性があるから。
一番、困るのは、教えると反発してやらないくせに、教えないとどうしていいか分からないから何もしない。
結局、どっちにしてもやらない。
聞くは一時の恥、聞かないのは一生の恥と言われたけど。
聞くことは恥ではないよ。
聞かないで知ったかぶりするほうがずっと恥。
チームは、常に、一体である様に整えておく。