最近、チームワークの意味を理解していない人が増えている。特に、若い人に。
チームワークというのは、複数の人が、組織的に仕事をする事を意味する。
ここで重要なのは、組織的に仕事をするという事。
チームワークは、チームでワークする事。
組織的に仕事をすることの意味がわかっていない人が、増えてきた。
チームワークにおいて最初に取り掛かるのは、チーム作り。
役割を分担すると言う事がわからない者もいる。
学校のお勉強ではなく、仕事は、一人ひとり役割がある。
ところが、学校生活が習慣が抜けない人の中には、役割を決めて分担する事が出来ない人がいる。
酷い場合、悪いと思い込んでいる人がいる。
担当者を決められないリーダー。
担当者に、仕事を任せられないリーダー。
目的や方針なんて意味がないと思っているリーダー。
自主性、自発性に任せると言って指示の出せないリーダー。
自分だけ、わかっていればいいと思っているリーダー。
全体的構想や、最終的目的を考えないリーダー。
言い訳をするリーダー。
手順段取りが解っていないリーダー。
自分の役割をわかっていないリーダー。
皆の話をまとめられないリーダー。
何も決められないリーダー。
状況が読めない、
自分がどこにいるかわからないリーダー。
自分の立場のわからないリーダー。
無責任なリーダー。
他人と協調しないメンバー。
言われた事だけしかしないメンバー。
報告をしないメンバー。
自分の仕事だけしていればいいと思っているメンバー。
自分のやる事を理解していないのに確認をしないメンバー。
話を聞かないで、憶測、推測で仕事をする、メンバー。
どこから着手したらいいかわからないのに、確認しない者。
仕事が終わっても、報告しないメンバー。
マニュアルに書かれている事だけをやればいいと持っている者。
前年と同じことをやっていればいいと思っているメンバー。
言われた事守ろうとしないメンバー。
できないとわかっているのに改めようとしない人。
自分の仕事を勝手に決めて、それ以外の仕事をしない人。
出席者だけ書かれていて、議長、書記、レポーター、事務局と言った役割が掛かれていない会議の計画書。
担当が、明確にしないで、仕事をてんでんばらばらにしている。とりとめがない。
始まりと終わりがハッキリしない。なんとなく始まり、終わりなくダラダラとした仕事。
目的がはっきりしない。
一人だけ、あるいは特定の人しか、目的が解っていない。
それぞれが目的や方針を勝手に解釈をしていて、統一性がない。
自主性、自発性を重んじるとか言って、リーダーの指示と違う事してる。
こういう人は、チームワークが解っていない。
勝手に一人仕事をしている人の集まり。(これは、学校の学級にはある。)
お互いに役割分担がハッキリしない。また、責任者、まとめ役のいない。
他のメンバーと協力しないで、自分勝手な行動をしている。
それぞれが、てんでんばらばら、言いたいことを言い、やりたいことをやっている集団。
こういう集団は、チームではない。
チームワークが解らない人は、組織を理解していない。
チームというのは、一人ひとりが、何らかの関係がある集団で、何の関係もない人の集まりではない。
一人仕事をする人の集まりではない。
また、集団を束ねる人、つまり、まとめ役、差配、支配人、リーダーがいない集団も組織、チームではない。
チームワークが解らない穂との多くが、組織と集団の区別ができていない。
組織と集団とは違う。
ちなみに、学校の教室は、集団であって組織ではない。
学校生活が長いと組織と集団の区別ができなくなっている。
自然発生的な仲良しクラブも、組織というより集団に近い。
つまり、組織としては未成熟。
チームもいきなり完成形化できるわけではなく。
野球をするにしても、いきなり、チームができるわけではない。
かといっていつまでも守備位置が決まらなかったら、練習もできない。
最初は完成度が低い。
組織は生き物であり成長していくのである。
組織には、いくつかの原則がある。
チームは人為的な集団であり、事前に形成されるものではない。
チームは、合目的な集団。つまり、一つの目的によって形成された集団。
メンバーには、強制力(法や規則)が働いている。
強制力は、権限と責任、権利と義務に裏付けられている。
メンバーは結果にたいしって、全員が責任を負っている。
メンバーは、全員、指示命令系統によって結びつけられていなければならない。
メンバーは、統一した行動が求められる。
メンバーは全員、何らかの役割を割り振られていなければならない。
組織の原則に基づいてチームは形成される。
ところが、組織の原則が理解しないで、チームワークをしようとする人が増えている。
チームは、自然に形成される。要するに生る(なる)と思っている人。
チームは、放っておいても自然に統制がとれる。
強制は悪であり、強制してはいかない。
目的なんてどうでもいい。
チームにリーダーはいらない。
チームのメンバーは平等だから、役割分担はできない。
結果が悪くても自分には関係ない。
統一、統制は悪であり、自由に反する。
役割分担のできないリーダー。
この様に、組織の原則を理解していない人がチームのメンバーに加わると途端に組織は制御不能に陥る。
チームは、チームで、群れとは違う。
全員が役割をもって全体を構成している。
先ず、核となるメンバーを決める。
コアとなる。役割を決めていく。
コアとなる役割には、副(リーダーと同じ位置で補佐していく)
参謀(リーダーの知恵袋)
事務方(準備や連絡、手続きなど、組織の下働き)等がある。
なぜ、担当を置くのか。
担当を何故おくのかを考える前に責任者と担当者のどこが違うのかを理解する。
責任者と担当とでは、役割が違う。
役割が違う事はわかっていてもどう違うかがわかっていない。
オーケストラで指揮者は必要ないか。
野球で、監督は不必要か。
軍で指揮官はいらないか。
なぜ、組織化するのか。
それは、ミスや見落とし等を防ぐ意味がある。
組織というのは複数の仕事を同時並行して進める事に意義がある。
つまり、複数の性格に違う作業を制御する事が求められる。
だから、実際に仕事を実行する部分と個々の仕事を制御うる部分からなる。
そして、複数の仕事を制御する為に、組織は、相互牽制によって成り立っている。
仕事を分ける事で、相互牽制を効かせる。
柔軟性、機動性をもたせる。
だから、組織は一人では成り立たない。
一人で何でも仕事のできる人は、組織のリーダーとしては向いていない。
組織は、一人ではできない仕事をすることが目的だから。
自分を殺したら、組織では生きられない。
自分の目で見て、耳で聞いて、仲間と連携することが求められるからである。
自分に見えないところ、できないところが見るため、できるようにするのが、組織。
山頂から見える風景と裾野から見える風景は違う。
先頭で見える範囲と後尾から見える範囲は番う。
立ち位置、支店が違えば、見える物は違うのである。
例えば、三か月後に野球の試合が決まって二十人の選手を集めたとする。
一週間後に、監督に
「何をしてるの」と聞くと。
「練習をしています。」
「投手は誰にするの」
「皆でキャッチボールをしています。」
「皆で平等に…。」なんて答える人がいる。
「三か月後に何をわかってるのか」と聞いても
「三か月後に野球の試合するんでしょ」と答え、
裏で、「あの人、何もわかってないんだよな」と言いふらし。
一ヶ月後の同じ質問をしても。同じ答え。
二か月後も同じ答え。
試合当日になって「投手、誰にするの」と聞いたら、
「まだ決めてません。時間がなくて」と答える。
この人、大丈夫かなと思うけど。
思うだけでなく、確実に負けるなとも、思うよ。
同じことをひたすら練習させてもや空ができるようになるわけではない。
つまりさ、やる前から結果が見えてしまう。
野球に例えると馬鹿々々しく思えるけど。
仕事では結構いる。
一人で、総ての顧客を一度に相手にはできない。
企画を立てる事と、現場と打ち合わせする事、会場の手配、お客様の相手を、一人で一度にできない。
組織は生き物。
一人ひとりの自分自身の考え、個性が大切。
自分自身、素の自分を引き出す。
人を部品のように扱うブラックな組織は、環境に適合できなくなる。
組織を構成する要素が死んでしまうからである。
なぜなら、決められた事しか対応できなくなるから。
投手だけ集めても野球はできない。
金太郎飴みたいな組織を作るなと言われたもの。
自分と同じことを求めるのではなく。
自分たちにかけているのは何かを考えることさ。
組織はネットワーク。
適材適所。
大谷みたいな選手ばかりじゃあないんだよ。
キャチャーも、一塁手も、スコアラーも、スカウト、運転手、球場の整備員も、ボールボーイも、切符切も必要なんだよ。
一人では無理なの。
何が任せられて、何が任せられないかを見極めて、任せられるところから任せていかないと、
潰れるのは時間の問題だからな。
昔、一人ひとり、販売店のように、営業から、事務処理、検針、集金、配送、保安まで一人でこなせさせようという思想があったが、すぐに破綻した。
効率は悪いし、穴が開いたら、すぐに回らなくなる。
地区を担当したものが休むと何もわからなくなる。
また、客と癒着し、不正が防げなくなる。
会社化、組織化する意味がない。
役割を分担するから、会社にする意味がある。
営業、受注、発注、仕入れ購買、データ管理、工事、在庫管理、事務処理、入出金、資金繰り、検針、集金、配送、保安、緊急出動、当番。
どこが、任せる事が出来て、どこが任せられないか。
仕事の中には、高度な専門知識や経験が必要な仕事もあれば、簡単に覚えられる仕事もある。
高度な知識にも、本業に関わる専門知識もあれば、会計や、情報等もある。
オールマイティに全てがこなせる人はいないし。
プロジェクトチームでも、新規事業でも、仕事を整理して、役割分担ができなければ、目標を達成する事も事業化も無理。
先は見えている。
見切りをつけるなら早いうちがいい。
自分の限界を理解でければ、自滅的、破滅的な仕事しかできない。
何を自分たちは必要としているのか。
どこを助けてほしいのか。
高度な専門知識や経験を必要としているのか。
簡単作業だけど、時間がかかる仕事を代わってほしいのか。
少し頭を冷やして考えたほうがいい。
今やってる仕事を分析し、一つひとつの仕事の性質を理解したら。
未経験な人間いできる事、外注できること、他の部署(情報、購買、会計、人事等)の助けを借りられる事もあるはずだ。
チームワークは、訓練、練習しなければ身につかない。
だから、イギリスを中心に欧米では、スポーツが発達したので。
イギリスでは、ラグビー、サッカーが重視されるのは、チームワークを大切にしているから。
日本以外では、使える英語を重視した、つまり、会話を中心とした教育がされる。
それに対して日本は読む英語が重視される。
それは、日本人は、英語の文献を翻訳する事が、明治時代重視されたから。
だから、酷い発音の英語教師が罷り通る。
会社の仕事は、チームワークが主体なので、学校のお勉強とは、わけが違う。
学校の勉強は、一人仕事であっていくら学校の勉強をしても、チームワークを覚えるわけではない。
学校の英語は相手を想定して教えないから、使えない。
昔、子供達は、遊びから多くのことを学んだ。集団生活、チームワークも遊びながら学んだ。
鬼ごっこ、ママゴト、騎馬戦。
今の教育は、子供達から遊びを取り上げて教室に閉じ込める。
挙げ句に、ビデオに、テレビゲーム。
だから、まともな社会生活が営めない大人が増える。
狼だって、ライオンだって、猿だって、群れを作る動物は、教わらなくても子供達は遊びながら集団生活を学ぶ。
なのに、動物園の動物は子育てもわからなくなるという。
後輩や、経験不測の人を、世話をしたり、面倒みたり、指導するのも、仕事のうちとかつての人はわきまえていた。
それが世話役、世話焼き。
仕事は、現場で学ぶ。
仕事は、転がす事でチームに浸透させていく。
つまり展開する事が重要なのである。
仕事はね、転がしていくの。
裏表、表裏ととね。
転回、回転していく。
一手いって。
一手指すと、次の一手が開ける。展開する。
将棋は一手指さないと、次の手は見えない。
相手がどう出るかわからないからね。
コンピューターだって読み切れないんだからね。
仕事も同じ。
一手いって、指すごとに状況は変化する。
僕らは、着眼大局、着手小局と教わったけどね。
全体像やゴールを見て。足元から、始める。
ローマの道は一歩から。
千里の道も一歩から。
ローマは、一日にして成らず。
一歩いっぽ。
確実に、作業を積み上げていく。
ならない事はならないさ。
為さねばならぬ。
何もしなければ、成らないさ。
為せば成るという事もあるけどね。
脚下照顧ともね。
足元を見ろさ。
チームワークが、うまくいくか、いかないかは、メンバーがどこまで、自分をさらせるかで決まる。
嘘や誤魔化しがあるとうまくいかない。
大切なのは、任せられたことを確実かつ正確に、期日までに仕上げる事。
できないのに、できるとか。わからないのに、わかりますなんて見栄はられるのが一番悪い。
安請け合いをして、いざ、着手しようとして、何をしていいか分からなくなって、相談もなく、途中で投げ出されるのが一番困る。
打ち合わせの時、一人でも言われた事をやってこなかったら、全員の仕事に支障が出る。
況や、リーダーが目的が理解できなかったら話にならない。
チームでは、一人ひとりの仕事を全員が当てにしている。
学校のお勉強とは違う。
見栄や劣等感で虚勢をはり、誤魔化されたり、言い訳、言い逃れされるのが一番困る。
できないのらできないと、わからなければ、わからないと正直に言うのが一番ありがたい。
期日までに間に合わない事態が発生したら、速やかにリーダーに報告し、指示を仰ぐ。
虚勢を張るのはやめろ。
最初は、誰だってわからない。
虚勢を張って、知ったかぶりして辛くなるのは、自分だよ。