国民経済計算書では、収支、貸借、売買、横、縦は、ゼロ和均衡している。
また、三面は等価する。
家計、法人企業、金融、財政、国際収支は、ゼロ和均衡している。
世界市場も、国内市場もゼロ和均衡している。
これが意味するところは。
均衡制御が肝心だという事で。

これは、当たり前な原則なので。
何故なら、売り手がいれば、買い手がいて。
買い手がいれば売り手がいる。

そして、売る手が売った物は、買い手が買った物を指す。つまり同じ物。
売り手が相手から受け取るのは売った物と等価の貨幣、買い手が売り手に手渡すのは買った物と等価の貨幣。同一のお金。

貸し手がいれば、借り手がいて。借り手がいるというのは貸し手がいるという事で。
貸し借りが成立すると同量の債権と債務が生じる。

プラスがあれば、対極に同量のマイナスが発生する。

世界市場は常に均衡している。
当然な事ですが、なぜか見落としている。
つまり、赤字国と黒字国はゼロ和均衡している。
これは、二重の意味があって、全体的にも部分的にも均衡している。
日本の様に黒字だけを続ける国がいると一方的に「お金」が集積し、世界市場に「お金」が回らなくなる。
家計が一方的に黒字になり「お金」を集積すると他の部分が資金不足に陥る。
貸し借りは均衡しているから、貸しが増える場、借金も増える。

ゼロ和で均衡とは、振動運動で、回転運動を意味する
振動では、振幅が問題となり、回転では回転数と回転速度が問題となる。

キーワードはゼロサムゼロ和です。

なぜ、今の経済学をベースにできないのかは、この関係、構造をベースにしていないからです。

だから理論に囚われず、データに照準を合わせろと。不易、変易、簡易ですよ(笑)
説ではなく事実に基づく。

ゼロ和均衡をベースにすると会計原則が説明つかなくなったり、自国の経常黒字だけを優先する政策が取れなくなるからです。
アメリカがなぜ経常赤字なのか、経常赤字は悪い事なのか。

善悪でとらえるから悪いので、構造、均衡を考えるべきで、赤字国、黒字国が固定してしまう事が悪いので。だから、経済は振動、周期、回転としてとらえべきなのです。

財政赤字をどう解消するか、長期的均衡と短期的均衡の整合性をどうとるのか、そして時間価値をどのように組み込むか。
いかに財政赤字を解決するか。
行政府も稼げばいいのです。そうすれば受益者負担も実現できるし。
増税ばかりに頼らずに。
営利事業は悪だとする、妙な価値観に囚われているから、身動きができなくなる。
行政府は利権の塊ですから。
昔は貿易権を売ったり、中国では、塩の専売をしたりして稼いでいたんですから。

民営化さずに黒字化させることも可能だし、ファンドにする事も。
要するにお役所仕事だから。
お役所仕事と切り離せばいくらだって利益が上げられるようになる。
民営化せずとも。
少なくとも、会計を、民営に合わせれば。
公共事業は、事業計画からして市場経済からかけ離れすぎている。
会計が違うのです。

不思議な事だが、資本主義制度の、真ん中に共産主義制度が巣くっているのである。

損益は不均衡になる仕組みにした。
そうしないと、総ての企業が利益を上げるという構図は描けないから。
収支を基礎としたら黒字の企業が出れば、必ず、赤字の企業が出る事になる。
また、短期の経営活動を期間で評価できなくなる。

それで、短期的働きと長期的働きを区分する事にした。
それが損益で。損益の基準で収支を見るからおかしなことになる。

つまり長期的均衡と短期的均衡を区分する事で損益を不均衡にしたのである。
しかし、会計では貸借は均衡している。

総ての企業が利益を上げられるようにできるのは損益で、そこに会計のからくりがある。このからくりを知らずして経済も経営も会計も語るなという事です。

なぜ損益にゼロ和均衡が成立しないのか。それは裏に貸借が働いているので。損益は貸借と言いたいになってゼロ和均衡する仕組みなのです。

企業利益の黒字と国家の経常収支の黒字は意味が違うという事です。
単純に赤字だから悪いとは言えない。

それを前提にして経営も国民経済を見る必要がある。

ゼロ和均衡の重要なところは、全体的の部分的にも均衡しているという点だある。
逆に言うと、構成単位である個々の取引一つひとつがゼロ和均衡しているから全体もゼロ和均衡しているよ言える。

もう一つ重要なのは作用反作用の関係と働きを成立させる要素となっており。
この均衡を保とうという働きが経済の原動力となっている。

収入と支出、売りと買い、貸しと借りが均衡している。この枠組みが、経済や経営成立させている鍵で。
又、外部取引は対称していて内部取引は非対称になっている。
これが利益の源泉だという事。
内部取引と外部取引が非対称である事によってて捩れ、不均衡が生じ、その捩れ、不均衡を解消しようとする圧力によって経営主体は動いている。

このような関係は当然、過不足を生み出す。
過不足を是正するために貸借関係が生じる。
つまり、収支の過不足と貸借はゼロ和均衡する。

横の関係で言うと資金不足主体と資金余剰主体は必ず生じる。
資金余剰主体だけ、資金不足主体だけに偏る事は構造上あり得ない。

つまり、家計、企業、金融、財政、海外部門は、資金不足主体と資金余剰主体が混在していること意味する。

また、三面等価とは、生産=所得。所得=消費。消費=生産を意味し。
生産と所得、所得と消費、消費と生産は各々、ゼロ和均衡していること意味する。

均衡状態は、安定しているわけではなく絶え間なく均衡は破られる。
不均衡を是正しようとする力によって、経済は動いているのである。

経常収支の黒字では善で赤字は悪という思想(これは思想です)はいかに危険かがわかります。

経常収支が黒字だという事は必ず対極に赤字の国があって均衡している問い事で、総ての国が黒字を目指したり、強国が強引に黒字にしようとすると世界経済に歪が生じるという事です。

今危険なのは、とくにアメリカ大統領は実業家なので、黒字を目指す傾向があります。
わかり易いですから。
その触発されて総ての国、特に、アメリカ、中国、ロシア、インド、ブラジルといった大国が経常黒字を目指すことです。

これは構造的に最初から不可能ですから、そうならると力づくで達成しようとするようになるでしょう。
力づくで個々の国が黒字を達成しようとすれば均衡が破れ、最悪戦争になるでしょう。

要するに全体としての均衡と部分としての均衡で。
世界全体の経済は「お金」が循環する事で成り立っている。

位置的に黒字でいいとか悪いとかいうのではなく、その時点じてん、その局面きょくめんで各々国の役割、働きがあり、また、部門ぶもんの役割働きがある。それを正しく理解する事が肝心なのだ。

つまり、どの国も、どの部門も、局面をみれば、プラスとマイナス、振動しながら、一定の周期で回転する事で全体の調和を保ち事が要求される。

どこかの国や部門恒常的に黒字だったり赤字だと、「お金」は循環しなくなり、一方向に流れる事になる。
「お金」が循環しなくなると分配に支障をきたし、経済の仕組みは正常に機能しなくなり、偏り、断裂、分断、歪、階層、亀裂、淀み等が生じる。
最悪制御不能に陥り、暴走、果ては破綻をきたす。

経済は過不足があるから成り立っている。
総ての国が総ての資源を自給自足できるのなら、世界経済に相互関係はうまれない。
世界経済は互助関係の上に築かれている。

人の過不足、物の過不足、『お金』の過不足を互いに補い合う。
それが経済である。
物が不足し、人も不足し金が余っていれば利用される。
人も金も不足していて物が余っていたら奪われる。
何が余剰で、何が不足かは、国の在り方まで変えてしまう。
総ての面で余力があるのはアメリカくらいなもので。
今の日本は、人も物も不足している。
この事は日本人は強く自覚しておく必要がある。

注意しておかなければならないのは、人にも、物にも、お金にも、質と量がある事だ。
量だけ満たされているだけでは駄目で、質が伴わなければかえって、生産性が悪い。

人に対して物が不足するのが一番、深刻なので。

易は、回転運動、振動を前提としている。
「お金」は循環する事で効用を発揮する。
「お金」が一方方向に流れるようになると、貧富の格差が極限まで拡大し、社会が分裂、分断され、「お金」の流れが悪くなり、停滞し、やがては流れなくなる。
過不足の偏在を是正する手段として、税がある。
税は、所得と富の再分配を担う。
ただ、所得や富の再配分は、個人間のみでなく、部門間、国家間でも行われる必要がある。

慢性的な資金不足の部門や国、資金余剰の部門や国が固定化することは持てる国と持たざる国の格差を固定する。

国家間の均衡は基軸通貨の問題でもある。

基軸通貨というのは、決済用の資金である。
特定の国の通貨を基軸通貨とするという事は、基軸通貨国は、他国に外貨準備として提供する事を意味し、自国の通貨政策や金融政策、経済政策も制約を受けることになる。
国家間の資金の過不足を基軸通貨国は、補わなければならなくなる。

基軸通貨をどうするかケインズは特定の通貨にする事に懸念をしていました。案の定、アメリカは以後苦しむことになります。
通貨特に、銀行券はもともと借用証書です。
おかしな関係で、融通手形みたいなもので、国債を発行して国が借金をする、それを中央銀行が貸元になって国にお金を貸す。
誰から、じゃ、中央銀行は誰からお金を借りるのかというと国民。市中銀行の預金者、国民。
つまり、国と中央銀行はその気のならばいくらでもお金を発行できる。

中央銀行が国債を直接引きうければ、歯止めが利かなくなることが明らかなので日本では、中央銀行が、直接引き受ける事は禁じられている。
そこで市中銀行の国債を買わせ、それを引き取る形にするが、国債の買い取り資金を中央銀行が出しているため、実質的には直接引き受けと変わりなくなっている。
それで預貸率が五十%きる事態になっている。

インフレが進行しても国債の発行量が多いために金利が上げられない。それがハイパーインフレの論拠。

「お金」がどのように流れているか。流れている方向、量、速度。個々の局面における水準などの構図が分かれば、かなりの精度で、経済の実態が見えてくる。

経常収支で重要なのはどの国が基軸通貨を担っているかですね。
基軸通貨は決済資金になるので、外貨準備を用意する必要がない。
これは基軸通貨国の利点であると同時に弱点にもなります。
長所としては外貨準備を持つ必要がない。その代わり、相手国に外貨準備を与える必要が生じます。
アメリカが基軸通貨を担っていますのでどうしても経常収支が赤字になる傾向があります。

国際金融のトリレンマの様な問題もある。
国際金融のトリレンマは、経済学における重要な概念で、国が同時に達成できない三つの政策目標を指します。これらの三つの目標は以下の通りです:

  1. 固定為替レートの維持:通貨の価値を他の通貨に対して一定に保つこと。
  2. 資本移動の自由:資本の流入と流出を制限せず、自由に行えること。
  3. 独立した金融政策:国内の経済状況に応じて金利や通貨供給量を調整すること。

このトリレンマの本質は、これら三つの目標を同時に達成することが不可能であるという点にあります。例えば、固定為替レートを維持しながら資本移動の自由を保つ場合、独立した金融政策を行うことが難しくなります。逆に、独立した金融政策を維持しながら資本移動の自由を保つ場合、固定為替レートを維持することが難しくなります。

ユーロドルみたいな自国の通貨市場が国外で形成されたりします。

中央銀行の独立性の問題も絡んでくる。

MMTのような理論は、分配を、生産、分配、消費のサイクルから切り離してしまう危険性がある。

AIの出現によって計画経済や統制経済を可能にすらように思えるが。
計画経済や統制経済は、違う次元の弊害を引き起こす。
統制は既得権を生み、社会の階層化、階級を生み出す。
社会の階層化、階級化は、「お金」の流れを阻害する。

スポーツのように誰にも判りやすい評価によって配分に差を付けることが妥当だと思われる。

AIがいくら発達しても、すべてをAIに頼るのは、また違う障害を引き起こす。
AIは、予測ができても決めることはできない。
AIが決定まですると、人間は何も決められなくなり、思考力まで失う。
それは人と人との間に新たなストレスを生み出す原因となり、また、AIと人の間に無意味なストレス、対立をもたらす危険性がある。
適切な情報をAIは提供できても最終的に決めるのは人である。
AIはサポート役、責任は人にある。
この均衡が破れると共倒れする事になる。
互いに互を必要としているからである。

労働は、生きるための活動である。
苦役ではないし、罰でもない。
生きることは罪ではない。
子育ては、苦行ではない。学びである。
なぜ、先進国で少子高齢化が進むのか、労働に生き甲斐を、子育てに希望が持てなくなるからだ。

ゼロ和だという事は、常に均衡しようとする力が働いていることになる。
このような均衡しようとする働きは斥力と引力。作用反作用という作用となって認識される。
この働きによって振動が生まれ、回転運動に転化される。
この回転運動によって「お金」は市場を循環する。

故に、何と何が、ゼロ和の関係で結び付けられているかがポイントになる。

例えば、資産と費用、負債・資本と収益は縦列関係。資産と負債・資本、収益と費用、資産と収益、負債・資本と費用は並列関係。
並列関係にあるものどうしはクロス関係とも言う。

そして、借方、貸方はゼロ和に均衡している。試算表はゼロ和に均衡している。
試算表を、損益と貸借に分割すると均衡は破れる。その均衡を保つ働きをしているのが利益である。
本来は、利益を損益というのが妥当だが。損益は、収益と費用として計上されるので。ここでは利益とする。

そして、経営主体内部では、縦、横の均衡を保とうする力が働き、その働きによって経営主体は動かされている。

そして、貸借は長期的資金の働きを表し、損益は短期的(単位期間)資金の動きを表している。

この点を考えると、常に利益は圧縮される方向にあります。利益を継続的に出し続ける為には時間価値を付加する事で均衡を破る必要があります。その時間価値を付与するのが金利です。ですから、ゼロ金利は利益を圧縮する方向に働きます。ただ、金利はもろ刃の働きがあり、経済成長が停滞すると利益を圧縮する働きがあります。成長のみを前提とした経済体制には限界があるという事で、一般に考えると成熟した状態のほうが長いと考えるべきです。

故に、長期的均衡と短期的均衡をいかに調節するかが経済政策のカギで、そう考えると、負の要素として今まで考えられてきた負債と費用が実は重要なカギを握っている。ある意味で、負の効用ですね。いかに安心して借金ができるか。適正な費用を確保できるか。そのうえに利益が成り立っているので。利益は指標に過ぎない。赤字が悪いという善悪論ではなくて、健全な赤字、あるいは、不健全な黒字もあると。不健全な黒字のほうが悪い影響を与える事もある。

基本は先に述べたような、縦列環形、並列関係ですね。一番、気がつきにくいのですが、会計のベースは試算表なんです。精算表に変換される前。試算表から精算表に変換するプロセス。そして、精算表を損益、貸借に分割する処理、決算手続きに実は会計、資本主義のからくりが隠されているのです。だから、三級簿記を読みこなせと

会計のからくりがわかると資本主義のからくりもわかります。ここが肝でね。実は資本主義は簿記的思想で、資本の意味は会計、簿記がわからないと理解できない。ところが大多数の経済学者は簿記がわからない。簿記を理解しているの実務家だけど彼らは理論化できない。

簿記は機械学習に通じていますけど。

これは、国民経済計算も言える事で、何が何でも黒字にしなければとか、赤字は駄目だではなく、なぜ黒字なのか、なぜ赤字なのか、赤字にしている要因を明らかにし、不健全、異常な要因はないかを論理的に検証すべきなのです。特定の国の通貨を基軸通貨にする事の是非も含めてですね。

論より証拠。

過不足も、債権と債務も、ゼロ和均衡する。
つまり、余るところがあれば不足するところが生じ。
不足するところがあれば、余るところが生じる。
財政が資金不足の時、家計は、資金余剰である。
金融は。基本的に、資金的には中立的、ニュートラルに均衡を維持するように「お金」を融通する。

過不足は、ゼロ和均衡させなければならない。
そのために負債、借金がある。
過不足を補い、全体を均衡させる。それが、借金本来の効用である。
つまり、全体の貸し借りは、ゼロ和均衡していて、この均衡を保とうとする力が経済を動かしている。

経済の生成期では、最初はすべてが資金不足、そこで、国家が、税を担保に国債を発行し、発券銀行に紙幣を発行させ民間企業が借金をして
家計に資金を流す。

つまり企業が資金不足の時は、企業が、借金をし所得として家計に資金を流し。家計は、それで生産財を買う事で企業に「お金」を還元する。また、家計と企業は、税として財政に、資金を還元する。この体制が確立できたら、家計、企業、財政が周期的に赤字と黒字を来る返して資金を市場に循環させる。

単年度で、ゼロ和均衡させると資金が循環しなくなるので、資金の長期的働きと短期的働きで長期借入金と短期借入金を区分する。
その事によって総所得が短期と長期に区分けされる。
また、資金効用を収支から損益に分離する事で短期的利益を指標とすることのした。

経済的価値の総量は、総所得を超えない。総収入は、総支出を超えない。
経済は変動は期首と期末の差として現れる。
経済変動を主導するのは所得である。何故なら、所得は名目的な値だからである。
実物による拘束を受ける生産と消費は、変動を主導できない。
ただ、経済の実体は、生産量と人口にある。

また国家間でも、過不足ができる。
世界市場では国家間の過不足もゼロ和均衡する。
互いに国家間の過不足は国家間の貸し借りによって調整される。
その時、仲介するのが基軸通貨である。
また、国家間の債権債務は、均衡するような体制に組む必要がある。
債権債務には金利が働くから、内部体制、外部体制が均衡を可能とする体制役割分担がされないと。
世界市場の不均衡は、拡大しやがて分裂、あるいは階層化する
それは貧困を固定化させ、世界の治安を悪化させる。
これは富裕層にもいい結果をもたらさない。
持続的発展や環境悪化を改善させるための協力体制が組めなくなる。

自分一人だけ善ければというのが許されない。
神はそう指し示されているように思える。
しかしそれを実現するのは人の意志である。

ひたすら、財政赤字は悪いとして、かえって、財政赤字を悪化させる。
重要なのは全体の過不足状態と部門間の位置と均衡、働きの方向に予て評価する必要がある。

経済的価値の総量は、総所得を超えない。総収入は、総支出を超えない。
経済は変動は期首と期末の差として現れる。

人件費には、費用、報酬、生活費、分配などの働きがある。
このような働きによって、生産と分配、消費を、人件費は、繋いでいる。

収支がゼロ和で均衡すると経済は変動しなくなる。
均衡するとなると利益が出なくなり、付加価値も生まれない。
そうすると、「お金」も循環しなくなる。
「お金」を循環させるのは。過不足であり、付加価値である。
つまり、歪であり、偏りである。

その歪みや偏りを生み出すのは、借金である。
現代経済は借金で成り立っている。

銀行券、つまり、紙幣は、国の国民からの借金だと考えていい。
紙幣、国債、税金は不利不可分の関係にある。また、同様に預金と借金も不利不可分の関係にある。

「お金」を循環させているのは市場の歪みである。つまり、過不足である。
この過不足が生み出すのは借金である。借金は、「お金」が余っている処から「お金」を融通する事を意味している。
「お金」を融通する事を金融という。

貸借と損益は表裏をなす。損益の裏には貸借関係が形成されている。

ただ、総収入と総所得、総支出は、一致していて、総和はゼロである。
これでは、「お金」は動かなくなるので「お金」の長期的効用と短期的効用を区分した。
そして、売買から生じる短期的効用を損益とし、長期的効用を貸借に区分した。
その上で、長期的効用を分割して、費用として償却する事とした。
同時に、負債も短期的効用と長期的効用に区分した。それに時間価値を組み込むことで期首と期末の差を生じさせたのである。

そつまり、長期的効用と短期的効用を切り離し、長期的効用を分割したために、利益が出るようになった。して貸し借りは長期的効用、売り買いは短期的効用に組み込んだ。
後々問題となるのは、借金の返済と償却が値段も期間も一致していない事である。
この事は、売り買いと、貸し借りは均衡する事を意味する。

このような関係は、総資産と総資本の関係、そして、営業キャッシュフローを見れば分かる。
流動資産と流動負債の差が、また、営業キャッシュフローのコアとなる部分は運転資本となる。

キャッシュフローとは「お金」の流れを意味する。
経済は、「お金」の流れによって動かされている。
では、「お金」の流れ身は、どのような働きがるのか。

借金が悪いのではなく、借金が制御できなくなるのが悪いのである。

国家財政は、単年度均衡主義である。
単年度均衡予算は短期的効用の中に長期的効用を無理やり押し込むような事であるから均衡しなくなる。

つまり、財政破綻は、単年度均衡予算が生み出す必然であり、現代の市場原則とは別次元の基準に基づいているからです。この点を自覚しないと適正な経済政策は採用できません。

特に、経済全体では、公共投資や社会保障は長期的効用に属し、長期均衡を前提としなければならない。それを無理やり短期的効用として処理しようとすれば収支が合わなくなる。この視点が欠けた経済論は、成立しない。

市場原則を無視しているからである。