四十代の初めの頃かな、ひょっとしたら、それより、前の頃かもしれない。
サラリーマンの友人が、私に、しみじみと
「サラリーマン、十年、二十年やって、俺くらいの年になるとさ。
先が見えてくるんだよな。
せいぜい頑張っても、よくて部長どまりかななんてね。
いくら頑張ってもそんなものかな。
先が見えてくるとやる気も失せて。適当にやってればいいと思うのさ。
でも、俺みたいな社員ばかりのなったら、会社、伸びないしな。
それが悩みなんだ。」と。
「馬鹿野郎」って。
でもそれが、本音なんだろうな。
俺たちが、子供の頃は、高度成長のはじまりの頃。
まだ、焼け跡が残っていて、物不足。
家だってバラック同然。
着ている服もお下がりばかり。
ところどころに縫い張りがされていた。
車も中古で、飲み屋と言っても屋台みたいなもの。
店屋物と言っても蕎麦は、狸か狐。
ジュースなんて年に数回飲めるか、どうか。
バナナ出されたら、悪い病気にかかったかと。
それでも、皆が貧乏だったから恥ずかしいなんて感じる事はなかった。
高度成長期は、戦争の後遺症で働き盛りの人少なくて。
かつての経営者は追放され、代わって三十代、四十代の世代が経営を担った。
それで、三等重役とそしられて。
しかし、その若い世代が、高度成長を担った。
戦後は、やることがないから、子作りに励み、それが団塊の世代を生み出した。
高度成長時代は、慢性的、人手不足、学歴、過去の実績に囚われずに若手が抜擢され。
二十代、三十代、四十代でも部長、課長と部門を任された。
一方で労働争議も盛んで。ウーマンリブとか、自由恋愛、性の解放。
戦後つよくなったのは、女と靴下なんてね。
ロックにフォーク。安下宿に、同棲時代。
世の中は、エログロナンセンス。
学生は、反体制、反権威、反権力。べ平連。
反戦運動一色に染め上げられた。
日本赤軍、浅間山荘、安田講堂と。
内ゲバ騒ぎで熱が一気に醒めた。
それがやがて、社会が成熟してくると、出世もだんだんに遅くなり。
万年課長などとも言われだし。
しかも、高齢者が役職をたらいまわし。
終いには、定年間際にやっと役職になれる。
上が詰まって下は組合が怖いから、板挟みにあった管理職がリストラ対象。
早期退職を促され。
何が、終身雇用かと。
仕方がないから、子供の頃の夢をかなえるとか何とか言いて、脱サラするも、四十の手習いよろしくうまくいくはずがない。
その頃、聞いた愚痴だから、わからぬでもないが、だからと言って、まともに聞いたら先がなくなる。
団塊の世代の熱気がさめたら、三無主義、事勿れ主義、日和見主義。
生活が安定し、成熟してくると、今度は、バブルに狂って享楽主義。
そして、バブルが崩壊して、長い逼塞時代に入って、先の希望も持てずに若者の心は冷え冷えと。
正社員にすると退職金が払えないと、派遣が大流行り。
愛社精神など会社自体が求めやしない。
かつての学園紛争の時の熱気もなく。
仕事に希望が持てるわけでもなく、その日暮らし。
情熱なんて絵空事、綺麗事。
事なかれ、日和見が骨まで沁み込んで。
心も冷えて、燃えにくい人ばかり。
見せかけの色恋話にうつつを抜かし、命がけの恋なんて、阿保臭く。非現実的。
お蔭で、日本は沈んでいく。
その日本にコロナショックが襲い。
お先真っ暗な時代。
これから、激動の時代になる予兆がする。
私達の仲間の多くも定年を迎えってから、はや十年がたとうとしているけれど、未だに、目を覚まさずに、やれ鬱に、熟年離婚だと。
挙句にオレオレ詐欺にひっかかる。
変化が怖いのではない。
変化を恐れる事はない。
怖いのは、我を忘れる事であり。
動転して心を乱し、冷静な判断が下せなくなる事。
いい加減に、現実を直視しようぜ。
仕方がないと言ったらお終いよ。
いつの年になっても前向きに。
そりゃあ、年は残酷なものさ。
年をとるとそれまで、できていた事もできなくなるさ。
若い者にはかなわない事もある。
でも年をとったからこそできるようになった事もある。
年をとると言うのもまんざらでもない。
俺も、やっと、入り口に立てた心地。
強がりでなくてさ。
引退なんかではないさ。新しい門出なんだ。
新しい時代を開くのは、若者だけの特権だはない。
俺達には俺達にしかできない事がある。