わかる人は聞いてくる。できる人は謙虚になる。
わからない人は聞かない。できない人は、虚勢を張る。
わかる人は、わかるから聞く。
わからない人は、わからないから聞けない。
できる人は真摯な態度で向き合う。
できない人は、横柄な態度をとってその場から逃げ出そうとする。
わかる人は、詳しく知りたくなるから聞く。
わからない人は、相手を馬鹿にして煙に巻こうとする。
できる人は、できるまで根気よく続ける。
できない人は、できないから根気が続かない。
わかる人は、わかるから最後まで聞く。
わからない人は、わからないから、最後まで聞けない。
できる人は、即日着手する。
できない人は、どこから手を付けていいかわからないから、いつまでたっても始めない。先送りする。
わかる人は、分けて考える。
わからない人は、取りとめなく、漫然と、漠然と、ぼんやりと塊として見ている。
できる人は、組み立る。
できない人は、関連付ける事ができない。
わかる人はわかるから、最後まで冷静だ。
わからない人は、わからないから怒り出す。
できる人は、忍耐強い。
できない人は、途中で投げ出す。
わかる人は、わからなければ、わからないという。
わからない人は、知ったかぶりをする。
できる人は、常に真剣に取り組む。
できない人は、笑ってごまかそうとする。ちゃらんぽらん。
わかる人は正直だ。
わからない人は噓をつく。
できる人は、言い訳をしない。
できない人は、最初から言い訳を考えている。
わかる人は、わかりやすい言葉を使う。
わからない人は、難しいことを言う。
できる人はできる事から始める。
できない人は、最初から無理な事(できない事)から始めようとする。
わかっている人は、丁寧に説明してくれて、要所を抑えてくれる。
わかっていない人は、いい加減に説明して、仕事を丸投げする。
できる人は、信頼して任せ、細かい事には嘴を入れない。
できない人は、肝心なことは、何も決められないくせに、どうでもいい事に干渉してくる。
挙句、結局、任せられなくなって自分でやってしまう。
わかっている人は、難しい事をわかりやすく説明してくれる。
わかっていない人は、簡単な事を、難しくしてしまう。
できる人は厳しいけれど、見守ってくれる。
できない人は、一見優しく見えるけど、いざという時に見放す。
わかっている人は、実行する。
わからない人は口先だけ。言うだけで何もしない。評論家になる。
できる人は決断する。
できない人は優柔不断。不決断は、最大の誤判断。
自分で決められないから、他人ごとになる。
わかっている人は、口に出してわかっていると言わなくても、皆、わかっていると信じている。
わからない人は、口に出してわかっていますと言っても、誰も信じない。
できる人は、できない事はできないという。
できない人は、口が裂けてもできないと言わない。
わかる人は、言われなくとも気が付く。
わからない人は、注意されても気が付かない。
できる人は、気が付いた時に改める。
できない人は、いつまでも態度を改めない。
わかる人は、わかってることしか言わない。
わからない人は、わかった風な口を利く。
できる人はできる事しか言わない。
できない人は、できもしないこと言う。
わかっている人は事実に基づいて判断する。
わかっていない人は、憶測、推測で言い訳をする。
できる人は、筋を通す。
できない人は、思いつきで仕事をする。
わかる人は、調べて確認する。
わからない人は、その場限りの言い逃れをして、ごまかそうとする。
できる人は、自分を改める。
できない人は他人の性にする。
わかる人は聞く。聞き返す。
わかる人は、その場で、直後に聞き返す。
わからない人は、生半可な理解で、聞き流し。鵜吞みにする。
できない人は、自分ができない理由を上司や部下の性にする。
できる人は、自分ができない事を客観的事実に基づいて分析する。
わかる人は自分にわかりやすくする。(シンプルにする)
わからない人は自分でわかりにくくする。(複雑にする)
できる人は、自分ができるようにする。
できない人は、自分でできないようにする。
指示した側は、相手が自分の指示をどの程度理解しているかわからない。
だから、わかる人は、指示されたら、指示された事を、聞き返す事で確認し、詳細を詰める。
指示は、指示する側と指示される側双方で完成させる。
指示し放し、指示され放し。
わかっている人は行動する。
わかっていない人は、考え込む。
やればわかる。
やらなければわからない。
できる人は、行動してから考える。
できない人は、やる前から考え込む。
できる人は、何が必要かを考える。
できない人は、やる前から、できる、できないを考える。
できない理由、言い訳をやる前から考える。
やらなければならないのか。なぜ、やらなければならないのか。
できる人は、必要性を考える。その上で何ができるかを考える。
できるか、できないか。
できない人は、可能性から考える。
聞き返すというのは、返事、返答をするという意味。
聞かれたら返事をするときつく躾けられた。
返事をするのは、躾のレベルの問題。
人は言葉より態度を見る。
「わかりました」と答えたところで。
指示された事を、やらなかったり、あるいは、やったりやらなかったり、すぐやらなければ、周囲の者は、あからさまに反抗していると見る。
人の本心は、言葉より行動に現れる。
言っている事と行動が裏腹なら、人は背いている、欺いているとみなす。
やれといったことをやらないで、やるなといったことをやるのは、明らかな反抗。
自分ができないのに、他の人がやるのは我慢できない。
突き詰めてみるとそんなところ。
正当な理由なくして、反抗的な態度とるのは、私情でしかない。
だから、言っていることは、わかるけど、何をしたらいいかわからないとか。
やることはわかるのだけど、事情がわからないというのは最悪な状態である事を自覚すべきなので。
自分の限界を認めるから、他の人と協力して仕事ができるので、「わかっています。」「一人で、できます。」と言い張れば、自分のわかる範囲、できる範囲の仕事、一人でできる仕事しかできない。
指示された通りできないから、やらない。
最初からできない事、無理難題を押し付けてきたと、指示した人の性にして自分に言い訳をする。
チームワークは、自分の限界を知った時から始まる。
野球も、サッカーも、ラグビーも一人ではできない。
百%わかる人はいない。百%できる人もいない。
総てが優れている人はいない。すべてに劣っている人もいない。
誰にも、長所、欠点がある。
大体、人それぞれ、その人のあり方によっては、長点が欠点に、欠点が長点になる。
経験があるからとか、年上だからとか、学歴があるからとかいって、相手を見下して、耳を塞いでいたら、一緒に仕事はできない。
お互いに補い合い、助け合うから、協力して一緒に仕事ができるので。
相手は自分よりどこが優れていて、どこが劣っているのか。
逆に、自分は、相手よりどこが優れていて、どこが劣っているかを見極めないと、本心から協力し合うことはできない。
負けたくない、何もわからないくせに、出来ない癖にと、面子なんかに囚われていたら、人をまとめることはできない。
「あなたより、俺のほうがわかっている、できる。」なんて、思った瞬間、自分にも、相手にも、既に、負けているんだよ。
経験があるから、年上だから、お前より、俺のほうがわかっている、できるという態度をとれば、相手は、心を閉ざし、黙ってしまう。
優れた物理学者も、哲学者も、無垢な子供からも学ぶ。
経験がある事がかえって視野を狭くすることもある。
若者のほうが、柔軟に対応できる。
虚心に相手を認め、受け入れるから、それぞれが足りないところを補い合える。
私はわかっていない、出来ない。
だから、教わろう、学ぼう、練習しようと、本心から、思わなければ、誰も教えてはくれない、何も学べない、向上もしない。
わかっていないのに、わかっていると言い張るから。
わかったつもりになって、わかっていない事を認めないと、総てがわからなくなり、できなくなる。
大体、無知だからわからないと言っているわけでも、できないか無能だと言って馬鹿にしているわけでもない。わからないと、できないと、皆が困るから、指摘するのだ。
天才と言われる人でも、わからない事があるし、できない事もある。
私は、総てわかっている、できると思ったらおしまい。
わかりません、できませんと投げ出しても終わり。
私は、きれいだという人を美人だと思わない。
私は、醜女と諦めている人も美人だと思わない。
私は、美しくなりたいと努力する人を美しいと思う。
何がわかってないと指摘されたのか、何ができないと言われたのかを聞き取らなければ、いつまでも、救われない。
何も、わからない、何もできないからと自分を見限れれば、楽だよ。
自分を見限ったら縮こまって生きていくしかない。
自分なんてと、自分の人生を投げ出すこと。
わからない、できないと諦めたら、可能性や希望の芽を摘んでしまう。
わからないという意味にも色々ある。
例えば、見ないとわからない。
よく見えなくてわからない。
遠くてわからない。
状況がわからない。
事情がわからない。
相手の気持がわからない。
言っている事の真意がわからない。
何をしたらいいかわからない。
調べないとわからない。
調べてないのでわからない。
聞かないとわからない。
聞いていないのでわからない。
聞こえないのでわからない。
忘れたからわからなくなった。
やってみないとわからない。
やってないのでわからなくなった。
やってないのでわからない。
確認してないのでわからない。
手元に資料がないのでわからない。
できないと言うのにも色々ある。
一人ではできない。
遠くてできない。
資格がないからできない。
事情がわからないとできない。
事情が、状況が、変わったからできない。
年を取ったからできない。
若いからできない。
年齢的にできない。
教わらないとできない。
調べないとできない。
権限がないからできない。
力がないからできない。
病気だからできない。
時間がないからできない。
技術がないからできない。
忙しくてできない。
手が足りなくてできない。
条件が揃わないかできない。
雨が降ったからできない。
どうしていいかわからないからできない。
どこから手を付けていいかわからないからできない。
決められないからできない。
指示がないのでできない。
報告がないからできない。
あの人とはできない。
どこが、なぜわからないのか、できないのかが重要な問題。
自分がどこまでわかっていて、どこからわかっていないのか。
指示された事は分かるけど、事情が分からない。
事情はわかったけれど、調べないと、わからなことがある。
調べて(聞いてわかった、行ってみてわかった)、実態がわかった。
でも何をしたらいいかわからない。
何をしたらいいかわかった。
でも誰に指示したらいいかわからない。
誰に指示したらいいかわかった。
でも何を、どう、指示したらいいかわからない。
指示することは分かった。
指示する前に、誰に、報告(相談、承認)するかわからない。
こういう具合に、わからない事は仕事の進捗に従って変化していく。
明らかになった事から順を追って仕事に結び付けていく。
仕事は、薄皮をはぐようにして、姿が見えてくる。
だから、初めから、総てがわかるわけでも、できるわけでもない。
一つひとつ階段を上るように、一歩いっぽ、足を進めるようにわかっていく。
足を止めると、とたんに見えなくなり、最初からやり直す事になる。
わかっていると言って耳を塞いでいるのが問題なので。
自分は、相手より、わかっていると思うから相手の意見が聞けなくなる。
できないのに、できると言い張ると、他の人が仕事ができなくなるし、打つ手がなくなる。
一つ注意されると全て否定された、人格まで否定されたかのように捉え。
投げやりになったら、何も見えなくなる。
総てわかっているわけでも,できるわけでもなく。
総てわからないわけでも、できないわけでもない。
わからないと言われても、総てがわかっていないと言っているわけではないし。
できないと言っても、何もできないと言っているわけではない。
できないと言われて、総てを、投げ出すのは、単に、ふてくされているだけ。
なぜ、わからない事が認められないのか。
馬鹿にされたくない、負けたくない、舐められなくない、恥ずかしい、悔しい、腹が立つ。
つまりは、感情的な理由。
感情的な理由で、何もわからなくなる。
自分は何がわかっていて、なにがわかっていないのか。
何ができて、何ができないのか。
何がわからなければならないのか。
何をやらなければならないのか。
そこを見極めれば、やりようがある。
道が開けるというのに。
新人になぜ、どうしてと聞かれて鬱しく感じるかもしれない。
最初はね、しかたがない。最初が肝心。
基本的な事がわからないのだから。
丁寧に、説明をして、やる事を確認してやる。
そうすれば、最初に基本を身に着けられる。
仕事のできる先輩ほど、丁寧に教えてくれたし、そういう先輩は、自分の仕事を、自分が復習する意味も含めて教えているのが伝わってきた。
仕事のできない先輩ほど、恩着せがましく、それでいて、偉そうに、見下した態度で教え、その癖、すぐに癇癪を起こしていたの覚えている。反省もしない。
相手が理解できるように説明できないのは自分がわかっていな証。
わからない事があったら、その場で聞く。
わからない事を、わからないままにすると致命的になる恐れがある。
わからなかったら聞く。
知ったかぶり。わかったつもりが怖い。
その場で聞かず。
時間がたつと聞けなくなる。
年を取ると聞けなくなる。
他の人に説明すれば、自分が、どの程度、分かっているかあからさまになる。
他の人に説明させれば、その人が、どれくらい理解しているか、明確になる。
他人に説明しようとすると自分の力がはっきりする。
自分の力を隠したくなる。
それで、わからない事があると、他の人に伝えず、自分の腹に収めようとする。
聞かなかったこと、なかったことにしようとする。
そこから間違いが始まる。
恥を忍んで自分の力のなさを自覚するから成長できる。
「指示されたことを相手が理解したかどうか、どうしたら、わかるのか」と聞いた時、「わかる人間は聞きに来る、わかっていない人間は聞きに来ない」と教えられた。
指示されたことがわかる人間は、次に、自分が何をすべきかを決めるために聞くのである。
指示は詳細まで通常は、最初は、詰めない。
なぜならば、最終的に何を、どうするかは、実際にやる人間が決めるから。
実際にどのボールを打つかは、打者が決める。
詳細は、指示された者と指示して者とが協議して詰める。
本当に理解したものは、行動に移す。
行動に移すためには、細部を詰めなければならない。
細部や段取りは、実際にやる人間しかわからない。
詳細を詰めるためには、互いに聞かなければ決められない。
何をしたらいいか、どこから着手したらいいか聞いてくるさ。
親父たちに言われたよ。
「わかっていれば聞きに来るさ。
わかっていないから、聞きに来ないのだ」と。
最後に、自分を例外視しない。
自分が年寄りで、男なら。
年寄りであり、男の持つ、いやらしさを持っていると思う。
自分は違うと思うこと自体、いやらしい、間違いの素。
自分も同類だと思い、その上で常に自分と向き合い戦う。
最後に戦うは自分。恐れるべきは自分。
物分かりにいいふりはしない。
わからなければ聞く。それだけだ。
事の正否是非善悪に老若男女新旧の別はない。
年寄りであろうが、師であろうが、先輩であろうが、間違っていることは間違っている。
克己復礼