旅行の企画を立ててと指示されたら。
いきなり、熱海にしますとか。
まだ予約しましたとか。
切符買いましたではない。
皆がどこに行きたいか、どれ嫌いの予算かは、皆に聞かないと分からない。
まず聞く。

わからない事があったら聞く。
聞く時は、子供に返って、無垢の気持ちで。
わからないことがあったら聞けばいいというが。
実際に、聞こうとすると、何を、誰に、何を、聞いたらいいかすらわからない。
そこからと思うが、わからないことはわからない。
じゃあどうする。何から始める。
誰に、まず、自分に聞く。
何を、今、分かっている事と分からないことを紙に書き出して整理する。頭の中で考えているだけではダメ。行動が伴わないから。目に見えない。
何が、わかっていて、何がわからないか。
次に、いつ、誰に、何を、どのように、どこで聞くかを、決める。
これが要件定義。

自分の頭の中を整理してから聞かないと、相手は、何が聞きたいのかわからない。
自分が何を聞きたいかわからなければ、相手もわからない。

テストの時、問題も読まずに、いきなり、答えを書き始めないだろう。
それで答えが合っても偶然に過ぎない。
しっかり問題を読み、確認した上で、構想を立てて答えを導き出す。
解答を導き出すためにはプロセスがあって大事なので。
そのプロセスと踏まないと問題は解けない。

実際の社会は、問題そのもが不備であることが一般。
だから、問題の抜け落ち、漏れを補ってから問題に着手する。

いきなり結論を出そうとするから行き詰まる。
先ず、どうする?
何から始める?
とやる事を考える。
何から始めるかを考える。

最初に考えるのは、やる事であって、答えではない。

一方的に考えを押し付けられないから、「どうしよう」「どうする」と始めるんじゃない。
そりゃあ、もどかしいし、イラつくよ。
どうしていいか誰もわかっていないし。
何もわかっていないんだから。
糸口が見つからないだから。答えなんて誰も持っていない。
それで、何でもいいから、アイディアや、考えを出させるんだからね。
そうなるとベテランも新人もない。

ある程度はそいう事だと承知してやらないと。
互いにつぶし合って、消耗するだけで終わる。

それで、最初は形を作るんじゃない。
時間を決めるとか、やり方を決めるとか。
その結果、ブレーンストームとか、ワークショップとか、マッピング、フレームワークといった技法を開発したんで。
それだけ大変なんだよ。とっつきは。
誰も最初から答えがわかってるわけじゃない。
俗に、暗中模索、試行錯誤というだろ。
学校じゃないから、正解なんて最初から決まっているわけじゃない。
答えなんてない。だから自分達でひねり出すしかない。
上司も、トップも学校の先生ではない。

「お前の考えいいじゃない。それでいこう」とか
「面白いから、その線でいこうか」とか。始まりはそんなものよ。
あんまり思い詰めると何も決まらないから。とりあえず、何かやろうみたいな。

人それぞれ、できる事とできない事がある。
自分がわかっているからと言って、同じように他の人がわかっているわけではないし。
自分ができるからと言って、他の人ができるわけでもない。
反対に、自分がわかっていないからと言って他の人もわかっていないとは限らないし。
自分にできないからといて、他の人もできないとは限らない。
それに、自分だっていつでもできるという訳ではない。
年をとると、若い頃できたことが、できなくなる事も増えてくる。

それぞれ、何ができて、何ができないかを明らかにする。

なかでも、一番わかりにくいのが自分の事なのかもしれない。
自分の事は、わかっていないのに、わかったつもりになって大前提としてしまう。
それが間違いの元になる。

最初にやるのは、結論を出す事ではなく作業の洗い出しなので。
例えば、旅行を企画する時は、どこに行くかではなく、何から調べるか。どうやって、誰が調べるか。

全て分かっているということはないが、何もわかっていないということもない。

わかっていますというのは、曲者で。
何がわかっているというのか。
解決しなければならないのは、わからない事、できない事だから。
何がわからなければいけないのかは、わかっていない事やできない事。
ところが、わかっていますというのは自分は分かっていますという意味でしかなく。
何がわかっているかという事は問題外。
それで、「じゃあ何がわかっているの」と聞かれた、答えられない。
応えられないから、行動できない。

何もできずに切羽詰まってから、唐突に結論を出そうとするから、上っ面の結論しか出せない。
要は最初から、どうしたらいいのかわかっていないのである。

はじめは、何がわかっていて、何がわかっていないかを、わかる、理解する事である。
その上で今できる事から始める。

わかっていない事をわかってると言い、今できない事から始めようとするから、何もわからない、何もできな状態で時間だけが過ぎていく。

わからない事をわからない。できない事をできないと認められなければ、結果はやる前から出ている。

また、わかるというのは辞書的な意味で分かるというのと、実務的意味で分かるというのは違う。
辞書的意味とは、予算とはとか、総括とはと用語の意味が分かるという事で。
実務的意味とは、誰がいつまでに、何をするかという意味。
わかりましたと答える人の多くは予算とは何ぞやとか、総括の意味を言い出す。
それでは仕事にならない。
わかっていないのにわかったつもりになって、最後まで訳が分からない状態が続く。

自分に何ができて、何ができないのか。
自分は、今、何がわかっていて、何がわからないのかを、知る。
そうしないと、みんなと一緒に仕事ができない。

口が裂けても、自分は分からない、できないと言えない者がいる。
それでは、世の中を生きていく事はできない。

時間的限界、空間的限界、能力的限界の中で生きている。
それが、自分が生きられる範囲なのである。その境界線の中で人は生きている。

支店の事務のことに関して支店の事務課に人のほうが俺よりどちらが詳しくて、わかっていると思う。

勘違いしないでほしい。
自分にできないから任せるので。
自分にできれば、自分でやる。

システムの人の方がシステムではずっと詳しい。
自分は負けた、劣っていると言われても恥ずかしくも、口惜しくもない。
むしろ、知ったかぶりをすることのほうが恥ずかしい。

配送だって、事務だって、営業だって、保安だって、自分一人でできるならやるさ。
自分一人でできないから、高い金払って人を採用するのではないか。

支店長も、自分一人で、支店の仕事できるというならやればいいよ。
だけど、それで仕事が回らなくなったら責任をとってもらうよ。
自分一人で百人の仕事はできない。
だから、任せるので。

仮に、親父が何もできない人を責任者にしたとして、「あの人何もできない、わかっていませんよ」と言ったら。
「何もわからない。できないから責任者にしたんじゃないか。それもわからんのか」とどやされる。
「何も知らないから聞くしかないだろ。何もできなければ、人に任せるしかないだろ。
中途半端にわかる奴、できる奴が一番始末に悪い。
少しばかりに分かっている、できる事を鼻にかけ、誰にも聞かない、任せないから。
一人では何もできないんだよ。」と。

一番困るのは最初からできもせんことをやろうとしたり、わかっていないのに知ったかぶりをするやつで。
その結果、期日までに仕事がやりおえなかったら、あてにしたことが全部オジャンになる。
オジャンになるだけですめばいいけど、下手すれば会社が潰れてしまう。
恥ずかしいとか、馬鹿にされたくないというの私情に過ぎない。

会社は情実で人事をしているわけではない。社員、全員の生活が懸かっているから適材適所に配置しているのだから。
人事は非情。情けをかけるのは人事以外のところ。

私情で大事を間違わないように。

いくら考えても、口に出さなければ伝わらない。
記録を取らないと残らない。 
作業というのは、目に見える行動、文書にする事。
それが見える化。

仕事は一人でやる事ではないから、一緒にやる人、全員が、目的や方針、やろうとしていることを正しく理解していないと、統制が取れなくなる。
東京に行こうとしているのに、一人でも大阪に向かったら、目的は達成できないし、皆で、野球をしようとしても、何人かがサッカーの練習を始めたらチームワークはできない。
だから、皆がわかることを方針とし、皆に伝える。
例えば、東京に行く事になったとか。やきゅうをすることになったとか。
それを方針という。
だから、方針を決めないと誰も何をしていいのかわからない。
野球をすると決めるから、そして、チーム全員に伝わっているから、野球の練習ができる。

誰にも、すぐできることを、いつまで経ってもやらないことを逆らうというので。
当人は逆らったつもりも、逆らっている自覚もないから始末が悪い。
注文を聞いたら、どのレストランでも伝票はその場でつける。
作業とはそう言う事。