打ち合わせをしようとすると、よく、先輩たちから、
「ところで、何を決めようとしているんだ。」と聞かれた。
「それがわからなければ、話にならんだろ。」と。
今、打ち合わせに入る前に、先輩たちの言葉を、思いだすようにしている。
「ところで、何を決めようとしているのか。」
仕事は仮定から始まる。
いきなり本決定というわけにはいかない。
本決定とはいかないが、何も決めないと仕事が始められない。
仮定とは、仮の決定。
仮定というのは、つまり、予定である。
決めるとは予定である。
予定。予め決める事。
予定は予測に基ずく。
やるべき事は、予め決めておくのでおかなければならない。
起きてから考えていたら間に合わない。
やるべきことを決めておき、あとは、タイミングと手順の問題。
いつカードを切るか。
なぜ、仮決めをするのか。
それは、時間が欲しいからである。時間を稼ぎたい。
なぜなら、作業には、時間的幅があるからで。
一定の時間がかかるから。
また仮決めするのは、道筋を作る為でもsる。
予め、コースを決めておけば、コースを外れた時に、すばやく対応できる。
予定、予算、計画をあらかじめ決めておかないと、自分たちの位置を特定できずに迷走、遭難してしまう。
仮決めしたように実行する事で、行動を管理する。
計画をする事で実行していく。
予め何を決めておくのか。
やる事である。
組織的意思決定は、言葉と行動からなる。
リーダーは、決定した事を言葉で表し、指示によって行動に置き換える必要がある。
言葉は名目であり、実体は行動にある。
決定された事は言葉に表す必要がある。
決まられた事は、チームに認知されなけらば、発効しない。
組織的に認知されなければ、決定されていないのと同じ。
ストライクもボールもセーフもアウトも審判がコールしなければ、誰も、認知しない。
声を出して、宣言するから有効となる。
つまり、決定は皆がわかる様に示されなければならない。
故に、野球では、判定、決定は言葉として表される。
言葉だけでは仕事は成立しない。
行動が伴う事で仕事は成立する。行動とは動作である、行為である。
行動は作業として現れる。
行動の伴わない、仕事は虚しい。
作業があって仕事は実を持つ。
作業は、実体があるから、時間、場所、人、行為、手段、物(資源)、お金等の要件を持つもである。
そして、時間、場所、人、行為、お金等の要件によって、個々の作業は、前後の作業と結びついているのである。故に、前後の要件と個々の要件を結びつける事も可能である。時間と時間を繋ぎ合わせるとスケジュールになる。人と人を結ぶと組織になる。行為と行為を繋ぐと工程となる。
やる事(作業)とは動作、行為を伴っている。
動作、行為とは、「報告書を書く。」「調べる。」「聞き取りをする。」「資料を作る。」などの行動を指す。
仕事は、行動を伴わないと実体がない。空疎だ。
予め、仮決めするのは、やる事で、結果ではない。
予め決められるのは、結果でなくて、やる事である。
結果は、やってみないとわからない。
打順は決められても、ホームランを打つとか、二塁打にすると決める事は出来ない。
結果はやってみないとわからないが、やる事はわかる。
やる事は決められても、結果は決められない。
だから、計画は、結果ではなく、やる事によるのである。
やる事、つまり、作業である。
作業には、実体がある。
すなわち、日時、場所、人、金、物である。
ただ、やる事そのものは、目に見える形で残るわけではない。やった事である。
だから、手続きとして記録し、痕跡を残すのである。
やると決めなければ、計画は立てられない。
先ず、やると決める。
その上で、計画を立て、実際の合わせ修正していくのである。
結果を求めるから決められなくなる。
結果が出てから、決めても意味がない。
結果が出る前だから決断する意味がある。
勝敗は、時の運と言うけれど、勝つ事ばかり考えて、練習を怠れば、戦うまでもなく、結果は見えている。
落第することを恐れてばかりいて、日々の勉強を怠れば、いくら前日に徹夜しても結果は知れている。
イベントの事ばかり考えても、準備を怠れば、イベントは、開催できない。
奇抜なアイデアよりも、地道な努力の積み重ねが功を奏す。
ただ走り込むことでもいい。
毎日、予習、復習することでも。
肝心なのは、日々の鍛錬、日々の研鑽。
試合の結果は、やってみないとわからない。試験の結果も同様。
やってみないとわからないから、何もしないというわけにはいかない。
試合の結果は、わからないと言って練習を怠れば、勝てる可能性は著しく低くなる。
肝心なのは、試合までの練習にある。
試験の結果に思い煩うより、何を、どの様に勉強するかが問題なのだ。
行動に表す。
どのような情報、根拠に、誰が、どのようにして決めたのかが、重要。
そして、決められた後、どうすることになっているかが。
結果でなく、やる事を決めるから、目的が大切になる。
何の目的でやるのか。
結果が出ていないから、ハッキリさせないと、決められない。
どの様な結果を望んでいるか、それが目的となる。
やるべき時にやるべき事をやらないと、望んだ結果は出ない。
結果にいたるには、過程があり、その時々にやるべき事をやるから、結果が期待できるので。
やってみなければわからないと、何の準備もしなければ、自分が望んだ結果は得られない。
ハッキリ言って、言ったことが言ったとおり起こっている。
原因は、やるべき時に、やるべき事を、やっていない事。
努力をせずに望む結果は得られない。
勝ちたければ、勝つために努力しなければ。
客先で仕事をしろ、パソコンとにらめっこをしても仕事にならない。
相手と会わないことには。
打ち合わせばかりしていてもお客に会わなければ、話にならない。
相手と会わないことには、話は始まらない。
監督が一人で練習しても、チームワークはできない。
やり方を間違えば、失敗する事は目に見えている。
結果を出すまでに何をやるかが鍵なのである。
やるべき時にやらなければ、少なくともうまくいかなくなることは、本番をやる前から分かる。
結果を出す以前の問題である。
やる前から、だめだ、だめだというのでは上手くいくはずがない。
始める前から、失敗すると決めていたら、成功するはずがない。
話を聞いてどうする。
話を聞くだけでなく。
聞いた話をどう実行していくか、それが鍵。
話の話にするな。
話を聞くだけならだれでもできる。
鍵は聞いてどうするか、そこでその人の真価が問われる。
社長の話を聞いてどうするか。
お客様の話を聞いてどうするか。
警報をどうするか。
聞くだけで何もしなければ、聞いていないのと同じ事になる。
言った人間は聞いていないと受け止める。
これは話をしていない場合よりたちが悪い。
自分は聞いたつもり、相手は言ったのに何もしてくれない。
話を聞いて、じゃどうするかが鍵で。
話を聞いた直後にどのような行動をとったかが見られた。
危険を察知ていながら何もせず、間をおけば、指揮権を奪われても文句は言えない。
なぜなら、大川小学校状態に陥るからである。
指揮権は中断してはならない。これも、組織の鉄則。
アメリカ大統領は、病気で手術する時も麻酔がかけれれる直前に、核のボタンを押す権限を委譲する。
それが世界の常識。
地震が起きてから準備しても間に合わない。
だから警報をする。
しかし、警報が出ても何もしなければ、斬っていない事よりたちが悪い。
世界では、空襲警報の訓練がされるのが当たり前。
日本人は、空襲警報が出っても棒立ちする。
非常時においては、非常事態に気が付いたものが、第一声を発していい。
「津波だ、逃げろ」「敵襲。」「火事だ」
これらの警報は気が着いたら気がついた者が。間髪なく、躊躇なく発していい。
仕事にする。作業にする。
会議だって作業にできる。
会議を、ただ、話し合いの場にしたら、作業にはならない。
話は、無形であり、何も残らないからである。
議事録と言っても、話し合うだけで、何をするかが、決まらなければ、単なる話し合いに記録でしかないから。
会議や打ち合わせでは、会議や打ち合わせの結果、出席者、各自が、何をするのかが明確になっていなければならない。
アウトプット、成果がないのである。
だから、会議、打ち合わせまでに、何をしてくるのか、そして、会議、打ち合わせの終了後、何をするのか、それが肝心で。
その為には、会議までに、何を用意し、どんな資料を準備するのか、そして会議、打ち合わせでは何をするのか、資料に基づいて検討するのか、提案に基づいて、何を決めるのか、そして、決められた事に基づいて各々、何をするのかの、仕様を詰め、そして、いつ、誰から、誰に、報告するのか。
その結論が出て、はじめて、会議、打ち合わせは成立する。
次の会議、打ち合わせをいつ、誰とやるのか。
次の打ち合わせで何を決めるのか。
その上で、何を次の会議までにやってくるのか。
「次の会議で方針を決めてみんなに示したいから。それまでに、各々、自分の考えを書いて提出して」とか。
「次の会議で場所を決めるから、それまでに、××は、みんなの意見を聞いておいて。それと○○は、候補地をいくつか提案できるように調べておいて。」とか。
「次の会議で日程を決めるから、それまで、それぞれ、みんなの都合のいい日を聞いておいて」とかね。
会議のための資料、用意、準備が終わっていなければ、会議も打ち合わせもさせてくれなかった。
当たり前なんだけど。
今は、平気で、会議のための資料の、準備もしないで、いきなり話し合う。
だから、ただの話し合いになる。
自分たちは、単なる話し合いだったら時間の無駄、かえって障害になる。
それを井戸端会議、小田原評定と言って嫌った。
会して議せず、議して決せず、決して行わずと。
会議、打ち合わせは、作業にできるのであり、会議、打ち合わせも仕事の内なのである。
会議に対する作業を通じて、計画実行するので。
調査という作業は、調査書に集約される。
だから、成果物を基に作業を洗い出せば仕事になると考えたのが、WBSで。
会議で、検討したり、決められるように、操作性を持たせたのが、ダッシュボード。
つまりダッシュボード操作して会議場で作業をする。
話を聞いて、どうするか。
話を聞いて無視する。
聞いて、やらない方が、聞かない時より悪い。
気がついていない事より、気がついいているのにやらない。
気がついているのに無視する事の方が悪い。
何をするかを決めたら、行動に移る。
そしてファーストステップ、初動。
担当を呼んで指示する。
次に何を指示するか。
それによってどの程度理解しているかが理解しているかがわかる。
言ったことをやってくれば、助けようがあるが、
言われた事をやらなければ、たすけようがない。
なぜ、予算を立てるのか。
予算も、予定も、計画も。予測に基づいている。
未来を予測して、予め、進むべき道筋をつけておく。
地図も、案内もなく冬山に登るのは無謀である。
無計画に経営をするのは、海図もなく、羅針盤もなく航海するような事である。
最初から遭難する事は見えている。
結果は実績となる。
予定、計画と結果、実績と比較する事で実績を予定に近づける。
予算と実績の差から、軌道を修正し、会社が正しい針路を進むためどうしたらいいかを検証するためである。
予定、予算として、目標を、予め、仮決めをし、道筋を決める。
目安、道しるべを置かないとなにをすべきかを明らかにできないからである。
結果、実績は、成果となる。
成果が、表に現われ、目に見えるようになるまでは時間がかかる。
家を建てる時と同じように、上物が目に見えるようになるまでには、だいぶん、時間がかかる。
仕事は、成果が目に見えるようになるまで時間がかかる。
目に見えないからと言って疎かにしていいわけではない。
むしろ、目に見えない時に、基礎が形成されているのである。
はじめの頃は、結果が成果として表れないことがある。
目に見えない成果をどのようにして認知するか。
それが、仕事の成否を分けるのである。
中間の成果を記録する物を成果物とする。
目に見えない中間的結果は、記録によって成果物にする。
予定、予算と成果物を比較する事で軌道修正、進捗を調節する。
予算を何故、決めるのか。
予算を決めたら、終わるわけではなく。
予定は、実績を比較し、進捗を加減することに意味がある。
実績は結果である。
予算、予定というのは、案内地図である。ガイド。
案内地図がないと道に迷って遭難する。
予め、目安となる地点、目標を仮決めをする事で、目標地点までに何をすべきかを明らかにするのが目的。
結果ばかりを追い求めると、やるべき事を見失う。
目標を達成する為には、どうしたらいいのか。
目標数値を十二で割り、一か月の数値を機械的に決め、結果ばかりを追いかけるのは最低の管理である。
一年の販売計画、行動計画を予算と一緒に立て、最初の一か月目に、何を、どこまでやるのかの指標を立て、実績と比較しながら軌道修正するから予算の意味がある。
例えば、最初の一か月目の目標は見込み客数と、自分なりに何をどれくらい売るかの販売計画を立てるとか。
二か月目は、一日の訪問件数の数を目標とするとか。
ひと月毎に指標決め、目標件数を設定するという様に。
また、展示会やキャンペーンを道しるべ、目安にして、行動計画(アプローチ、クルージング、クロージングや、プラン・ドゥ・シー等)つくる。
定例会議というのは里程標である。
仕事は、結果を出すまでに時間がかかる。
短くても三か月、経営サイクルは、一年。システム開発の様な計画だと、簡単に、二年、三年かかる。
その間、なんの目標、道しるべ、目安がないと、段取りも、計画も立てられない。
定例会というのは、予算や計画のための里程標、道するべ、枠である。
一年間で決まっている会議を書き抜き。
あるいは、理事会を書き出し。
その上でイベント書き足し。
後は、責任者、担当者、関係者のリストをクロスさせ、それぞれが、会議まで、イベントまでに何をやるかを決める。
これは言ってあるが実際はやってない。
やってないから日程計画が立たず、当然、計画の進捗も管理できない。
そのしわ寄せが担当者に行く。
これは、最初から言ってある。そして実際にその通りの事が置かっている。
やってます、わかってますと言い訳をする前にやる事だ。
予定と実績は、表裏の関係にある。
予定した事、コースと、実際に生起した事実。
その差を認識し、その差を是正する事で経営状態を管理する。
予測、予定と現実との違いを検証しながら、正しい在り方を検証していくのが近代的、合理的経営である。
つまり、予め仮決めした点と実際の起きた事を検証する事で、会社、組織を常に正しい状態を保つ。
それが、予定、予算、計画の働きである。
予実績管理を前提とせずに作られた予算も、予定も、計画も、意味がないのである。
決めるという事。
決めるという事の本当の意味をわかっている人が少なくなった。
決断は行動に先立ってする。
決断は結果が出る前にする。
つまり先決めであり、故に、仮決めになる。
後決めは許されない。後出しじゃんけんは駄目。
男性は、決断しなければ、本来、子がなせない。
決断せずに子を成すのは、欲望に負けただけ。己に負けただけ。
自分で決断するから責任が持てる。
つまり、決断には、責任が伴う。
決断には順番があり、段階がある。
決めるなんて、誰でも、日常的にやっているし。誰だってわかっているつもりになっている。
しかし、いざ何かを決めなければならなくなると、決められない。決め方が分からない。
本当に最近、何も決められない人が増えた。
若者でけでなく、重大な責任を任せられる年代の人も決断力のない人が増えた。
これは、国の将来を思うと深刻な事である。
決められないというより、決め方がわからない人が増えたと言った方がいいのかもしれない。
だから、決めるための準備ができない。
決めるのに準備がいる。
決める為には手順、手続きがあるというのがわからない。
会議の日を決めるというのは、その日に会議が開けるように準備すること意味する。決めるとはそういう事である。
決める為のルールがあるというのもわからない。
何をしていいかわからないから、決められる状態にならない。
結果何も決められない。
決められない原因もわからないという状態になる。
私は、子供の頃から、決めるというのは、組織的、あるいは、チームでやるというのが、当たり前のように育ってきた。
映画のシーンでも、歴史ドラマでも、何か重要な決断をする場面では、一人で、決めるという事はない。
側近と相談したり、或いは、軍議、会合で、物事を決めていく。
それが当たり前な事と受け止めていた。
決める為に必要な情報がある。
情報を決める為に必要な状態に加工、分析しておく必要がある。
それすらわからない。
答えを出すと言っても、答案用紙に答えを書く事が決断だとは思わない。
一人で心の中で決めたと言っても決めた事にはならない。
決めたら、決めたことを発表できる場を設定する。そうしないと決めたことが伝わらないし、正式に決まった事にならない。
これは、人間だけでなく、動物の世界でも行われている。
決めたことは、組織的に処理しなければならない。
だからこそ、会議や打ち合わせのやり方が洗練されてきた。
日本人は、組織的な意思決定が苦手なようだ。
例えば、コロナの対策を担った海外の閣僚は、専門家なのに対して日本の閣僚は、専門家でな精神的な理由によるケースが多い。
また、金融機関のシステムの責任者は、叩き上げの人間ではなく文化系である場合が多い。
発言も心情的所感が多く。専門的見地からの発言が少ない。
戦略的会議も、各々が自分の担当分野を代表して発言しているのに対して日本人は、ゼネラルな立場からの発言賀おおい。
戦略は、数学であり、経済だと言われる。戦略会議は数学的や経済的な部分があるべきなのにどちらかというと文学的になってしまう。
本来、組織決定は集団で、組織的にやらないと効力を発揮しない。
ところが集団で、或いは、組織的に決めるという事を理解できない人ばかりになってしまった。
決まったような、決まっていないような。
もやもやとした状態で。
ただ、成り行き任せで。
要するに、誰も責任を持とうとしない。
組織では決定に従ってすべてのメンバーが一斉に動く事になる。
当然、重要な決定は、メンバー全員がわかるように示す。
メンバー全員が認識出来るようにする。
決めた事はは明確にしておく必要がる。
特に、組織決定やチームの決定は、総てのメンバーがわかる様にしておくことが前提である。
複数の部署が絡んでいて、主管部署がハッキリしない仕事など結構ある。
例えば、教育とか、イベントとか、システム開発、予算なども。
そのようなケースは、まず、どこから、話を起こすかを決めることから始める。
どの部門、どの部署の誰が起案し、誰がチェックし、誰が決裁し、誰が承認するか。
先ず、決済の経路を部門間の責任者が打ち合わせて決める。
その経路に沿って仕事をする。
日本の稟議制度は典型で。
どの筋とか、どの線とか。
そういう筋道や形、順序が、組織の決め方を表している。
つまりは、組織的意思決定なのである。
山頂を極めようと思ったら、どうやって登るかを考えるのである。
山頂ばかり見ていても、山頂を極める事はできない。
登り口、登山口を見つける事から始める必要がある。
第一歩を裾野のどこから、登り始めるのか。
そして、どこを目印にして、どういう経路で登るのか。
問題はその点にある。
一直線に登ろうとしても無理であり。
どういう目的で山頂を極めようとしているかによっても、コースは変わる。
ただ早ければいいのか。
安全第一なのか。
景色を楽しみたいのか。
山頂を極めたければ、足元を見極める必要がある。