打ち合わせの結論は、次までにやっておくことその報告、それから、次までに調べてくることそれしかないんで。
だから、間が抜けているというので。

憶測、推測で答えるなと。
手元に資料がないなら、答えようがないだろ。

答えに詰まったり、手元に資料がなくて答えられない時は謝るしかない。
下手に言い逃れしたり、確証もなく答えようとしたら粗末が悪い。
言い訳や誤魔化そうとするから悪いので、「わからないことはわからない」と正直に言って、次回までにどうするかを言えばいいのに。

応えは決まっている。
次回までにやる事か。調べる事。
何をやるか、何を調べるかの問題で。
そこさえ間違わなければ、その場は許される。

用意や準備不足で窮しているのに、その場逃れの言い訳をしたり、誤魔化そうとするから、話が長くなる。

素直に認めて謝罪すれば、大体、三回以上は叱れないけど。
嘘ついたり、しらをきたり、言い逃れをしようとすれば、本当の事が知りたくてくどくなる。
詮索される。

確かに、システム化される以前と以外では、仕事の段取りに違いがある。

何が違うかというと、以前は、資料一つ作るのも、皆で役割分担をして協力していた。
ところが、今は、パソコンを使えば一人でできる。
しかも、パソコンの中身は、ブラックボックスだ。
だから、最初に打ち合わせをする必要がない。
ところが、それが、チームワークや資料を作る意義を喪失させた。
自分で資料や報告書、届け出を書くことに意義があるというのに、その意義が伝わらなくなる。
あって話すことに意味がある事も最近はリモートワークで。

一人でできなければ、最初に打ち合わせ、途中で経過報告をしながら、お互いの考えを調整しなければ仕事ができない仕組みだったが今は、一人で何でもできる。
そうなると誰が何をやっているのかわからなくなる。

会議や打ち合わせの最後に必ず、次回までに自分が何をやってくるのかを自分で書いて確認し、帰ったら伝える。
そうすれば、新しい作業の起点となるから。
切れ目なく仕事が継続する。

議事録を当てにしない。
他人が書いたものを当てにしていたら、いつまでたっても他人事、自分のものにならない。
言いたいこと、伝えたいことがあったら口に出して言う。
自分の口に出して言わないと相手には伝わらない。

これは愚痴、不満を指しているわけではなく。
いうべき事があったら、言うべきところ、勇気を出して言う。

陰口を聞くなと。正々堂々といえ。

特に、部門長は、自分が口に出して指示しないと、相手は、正式な指示として受け止めない。
それこそ、立ち話で、酒宴の席で酔っぱらていったとしても、それは正式な指示として受け取止めないし。受け止められない。

それから、決定権のない人に、陰で愚痴を言っても、正式な会議では何も言わないで、非公式なところで反対したり、批判しても、個人の見識が疑われるだけで。
要するに発言権というのは正式な会議でのみ認められる。

逆に、正式な場で言うべきことを言わなければ、それは暗黙に賛成したことになる。
だから、あえて欠席する事も認められるけど、その場合も、欠席する理由を明確に伝える必要がある。

指示命令は、出すべきものが自分の口でちゃんと伝えなければ。
それもみんなの見ている前で伝わらない。
しかも、伝えるべき時に、伝えるべき場所で、伝えるべき人に伝える。
伝えるべき時と場所と人を選んで伝えるのが大人の分別。
それを間違えてはいけない。

叱られるのは、伝える時でない時に伝え、伝えるべき場所でない時に、伝えるべき人でない人に伝えるからで。

それが簡単そうで、簡単でないから。
その時、その場で指摘しないとわからないから。

打合せの最後の、次はいつやるか、それまでに自分は何をやってこなければならないのかを紙に書いて確認し、それを自分の部署に戻ったら速やかに、報告なり指示によって伝える。
その上で、どうするかを具体的に詰める。やっているというなら、必ず、メモ程度でも、ノートでも証拠が残っているはずで、それを見せろと。
見せられなければ、やっていない。
メモでも残っていればそれを起点にして説明がつく。
だから、行動を聞いているので。

メモがあるかないかは嘘がつけない。
ただ、直後に自分がやる事を記録しておかないと、つかみどころ後なくなるから。
とにかく書けと言ってるだけだ。

紙に書け。
声に出して言え。
約束は守れ。
担当をおけ。
伝えたかと聞いているだけ。
やってなければ言い訳や言い逃れをいいから、どうするかを言えと言ってるだけ。

ただ、基本、初歩的な事だから、やってないと結構大変。

子供に注意するような事をいい大人が注意されるのはお互い不愉快なのは分かるが。
子供が注意されるような事をしているからだという事を気がつかないと。

すっぽかしてはいけない
約束は守る」と子供を躾けなければならない人が、自分が守れなければ。

基本の基本は基本動作で、野球の基本はボールの投げ方で、ボールの投げ方が分からなければ、いくら、高度な理論を知っていてもボールの投げ方が分からなければ野球はできない。
同様に、打ち合わせの直後に次回までにやってくることを紙に書き出せなければ、仕事の基本はできない。
やってますよと意地を張ってる限り仕事は身につかない。
なぜなら、ボールの投げ方みたいな事だから、

最終的には基本動作。
スイッチを入れる。
スイッチの入れ方。
ボタンを押すとか。
鍵をさして回すとか。

スイッチを入れると言うのはわかるけれど、スイッチの入れ方がわからない。

実際の場面ではスイッチの場所とか、入れ方というのは一通りではなく。
スイッチを入れた経験があるものには当たり前でも、入れたことのない人は勇気がいる。
ただ、最終的には基本動作。
紙に書くとか。伝票をつけるとか。声に出す。集まるとか。聞くとか。
この基本的なことができなかったり、逆らうと…。

話を聞くと言っても、簡単そうに見えるが結構難しい。

肝心なことは、自分の口で言わないと伝わらない。

基本的な事は、現実で、実際に行動を起こさないと結果として現れない。
指示したかと聞かれて、
「やってます」といっても、現実に、指示が伝わっていなければ組織は動かい。
逆に、言えば組織が動かなければやっていない事になる。

とにかくやればわかるけど、やらなければいつまでたっても、いくつになってもわからないと言ってるだけ。

躾レベルの話だから厄介なのだ。

よく昔は子供が見ているよ。
親の顔が見て見たい。

子供を叱るの辛いけど、世にでて子供が辛い思いをしないよう心を鬼にしてとにと。

それが通用しない社会に日本がなったら、お先真っ暗なんだ。