どこにボールを投げるかは決まっている。
投げる場所は、わかっている。
だが、誰が投げるかがわかっていない。
どのコースで投げるかがわかっていない。
最初は結果を求めているのではなく、何から始めるかを聞いているのである。
何から着手するかを聞いている。どこから手を付けるか
入口を探しているので、出口を探しているわけではない。
入ってもいないのに、出口など見つかるはずがない。
やる前から、結果がどうのこうのと、悩んでも始まらない。
試合をする前に勝敗を聞いても仕方ない。
試験を受けもしないで、合格したかどうかを、聞くわけがない。
試合が始まる前から、負けたらどうしようと悩んでも。
試験を受ける前に、もう駄目だと、諦めていたら。
勝てる試合も。勝てなくなるし。受かる試験も、受からなくなる。
勝ちたくない勝ちたくないと試合してるようなもの。
それで、嗚呼、やっぱり駄目だったと嘆くのは自虐主義。
文句を言うなら飯を食ってからにしろ。
食う前からああだこうだ言うなと。
やる前から、ああだこうだいたり。
批判をするのは卑劣だと教えられた。
会議などのイベントや手続きの役割というのは、一つは作業の経過を追跡可能にしておく、作業間を連結するのが、目的で。
何か、支障があった時の歯止め。
悪い影響が、遡及、波及しないようにすろため。
追跡可能にしておく事で、問題が起こったとき、原因を掴みやすくし。
また、問題点まで戻れるようにしておく。
駄目な上司は、だめな部下を望んでいる。
決めると責任を取らなければならないし。決められるとやらなければならなくなる。
たからなんだかんだ言って決めなければ、お互いの性にして、責任も生ぜず。やらなくてもいい。
お互いに罵り合っているだけで、なんにも決められない。
お互いにもたれあい、互いの性にして、簡単な事さえ決められない。
決断力のある上司、できる部下は、駄目な人にとって困るのである。
決断力のある人は、出世していく、下部に残されるのは駄目上司。
駄目上司は、優秀な若手を排除するから、組織の末端から衰弱してしまう。
結果的に組織は活力を失っていく。
仕事というのは、何か月も、何年も、事によっては一生かけてやり抜く事。
人を束ねて、長い時間をかけて目的地を目指す事。
かつて、モーゼが約束の地を目指してユダヤの民を導いたのと同じ。
安住の地で、ぬくぬくしている日本人と、他の民はわけが違う。
駄目な指導者、駄目な民だけでは、滅亡するか、奴隷にされる。
彼らのいう自由とは、勝ちとるものなのである。
最初の一歩を踏み出さない限り、目的地にはいつまでたっても行き着かない。
グダグダしているうちに一生を終える。
それが、負け犬根性だと言うのだ。
やってみなければわからないのなら、まず始めよう。
始めない限り、結果は出ない。
駄目元じゃないか。
やる前から諦めたら、なにもできやしない。生きていく事さえ。