何かを企て、仲間にしようとしたら、その手段には二つある。
一つは、志を立って、誓約書を作り、契約する事である。
もう一つは共犯者にしたてる事である。つまり、罪を共有し、秘密を持つことである。
現実の社会では、共犯者者に仕立てた方が手っ取り早いし、確実なのである。
この点を、理解しておく必要がる。
叛逆者の集まりや反社会的組織、テロなどの集団、犯罪組織などは、共犯意識で結び継事が多い。

かつて、過激派や狂信者集団、秘密組織などを組織化するための常套手段だった。
秘密を持ったり、犯罪に巻き込むことで逃げられないようにしておいて、洗脳するのである。

志は、心変わりしたり、変節する事で、転向する事がある。
しかし、罪を犯せば、罪悪感がある限り、裏切ることはできない。
一度足を踏み込むと容易に抜けないのである。

結束というのは、きれいな動機によるものだけでない事を忘れてはならない。
薄汚い動機によることもある。

権力は、えてして共犯意識によって生み出される。
最初は純粋な動機で権力や組織に近づいても、結局、悪に魅入られてしまう。

若い時の情熱も、純情もいつの間にか欲にまみれ、金に毒されていく。
最後は、魂まで売り払う。

強姦は、強姦した者もされた者も罪の意識に囚われる。
純真、善良な魂こそ、汚され易い。
純であればあるほど、罪悪感は深く深く突き刺さる。
そして、いつまでも、いつまでも苛むのである。

志とは何か。
薄汚い動機で汚されたくはない。
根本は信でなければならない。
純でなければ…。
罪なんかに置き換わるようなものでは続かない。

純ある魂も歳と共に色褪せる。そんな事はない。
真実ならば、年と共に輝きを増すのだ。

綺麗ごとだって。
言いたければ言えばいいさ。
現実は、甘くない、醜いだって。
思いたければ思えばいい。
それは、己の弱さ、醜さの言い訳に過ぎない。
人生は一回限り。短いんだ。
やり直しなんてできはしない。
だったら一途に思い詰めて生きるがいい。
罪悪感になんて負けないで。

忘れないで自分の心を。