僕らは、「できる事から始めろ。」
「わかる事から、教えろ」と教えられた。
さらに言えば、頭に、誰にでもとつけられた。
つまり、誰にでもできる事から始め。
誰にでもわかる事を教えろと。
小学校にも入学前の子供に微分積分教えてどうするの。
混ぜ、数を数える事から教える。
例えば、微分積分ゴールだとしてもだよ。
いきなり、高等数学など教えたら出だしからつまずくのは目に見えている。
しかし、数を数えるなんて年をとったら学ぶこともできない。
いい年をして、数が数える事もできなかったら。
社会に出ても四則の演算だって怪しい人間なんて、結構、いるもので。
最近も割り算のできない大学生が話題になった。
でも四則の演算も怪しいなんて誰にも言えないし、知られるのも困る。
そうなると質が悪い。一生祟られる。
誰にでもできる簡単な事ができないから大変なので。
会議や打ち合わせの最後に必ず、次回までに自分が何をやってくるのかを自分で書いて確認し、帰ったら伝える。
そうすれば、新しい作業の起点となるから。切れ目なく仕事が継続する。
議事録を当てにしない。
他人が書いたものを当てにしていたら、いつまでたっても他人事、自分のものにならない。
言いたいこと、伝えたいことがあったら口に出して言う。
自分の口に出して言わないと相手には伝わらない。
これは愚痴、不満を指しているわけではなく。
いうべき事があったら、言うべきところ、勇気を出して言う。
陰口を聞くなと。正々堂々といえ。
特に、部門長は、自分が口に出して指示しないと、相手は、正式な指示として受け止めない。
それこそ、立ち話で、酒宴の席で酔っぱらていったとしても、それは正式な指示として受け取止めないし。受け止められない。
それから、決定権のない人に、陰で愚痴を言っても、正式な会議では何も言わないで、非公式なところで反対したり、批判しても、個人の見識が疑われるだけで。
要するに発言権というのは正式な会議でのみ認められる。
逆に、正式な場で言うべきことを言わなければ、それは暗黙に賛成したことになる。
だから、あえて欠席する事も認められるけど、その場合も、欠席する理由を明確に伝える必要がある。
指示命令は、出すべきものが自分の口でちゃんと伝えなければ。それもみんなの見ている前で伝わらない。
しかも、伝えるべき時に、伝えるべき場所で、伝えるべき人に伝える。
伝えるべき時と場所と人を選んで伝えるのが大人の分別。
それを間違えてはいけない。
叱られるのは、伝える時でない時に伝え、伝えるべき場所でない時に、伝えるべき人でない人に伝えるからで。
それが簡単そうで、簡単でないから。
その時、その場で指摘しないとわからないから。
打合せの最後の、次はいつやるか、それまでに自分は何をやってこなければならないのかを紙に書いて確認し、それを自分の部署に戻ったら速やかに、報告なり指示によって伝える。その上で、どうするかを具体的に詰める。
やっているというなら、必ず、メモ程度でも、ノートでも証拠が残っているはずで、それを見せろと。
見せられなければ、やっていない。
メモでも残っていればそれを起点にして説明がつく。
だから、行動を聞いているので。
メモがあるかないかは嘘がつけない。
ただ、直後に自分がやる事を記録しておかないと、つかみどころ後なくなるから。
とにかく書けと言ってるだけだ。
紙に書け。声に出して言え。約束は守れ。担当をおけ。伝えたかと聞いているだけ。
やってなければ言い訳や言い逃れをいいから、どうするかを言えと言ってるだけ。
ただ、基本、初歩的な事だから、やってないと結構大変。
子供に注意するような事をいい大人が注意されるのはお互い不愉快なのは分かるが。
子供が注意されるような事をしているからだという事を気がつかないと。
「すっぽかしてはいけない。挨拶をしようね。約束は守る。」と子供躾けなければならない人が、自分が守れなければ。
自分の口で言わないと伝わらない。
やってますといっても現実に組織が動かなければ。
とにかくやればわかるけど、やらなければいつまでたっても、いくつになってもわからないと言ってるだけ。
躾レベルの話だから厄介なのだ。
よく昔は子供が見ているよ。
親の顔が見て見たい。
子供を叱るの辛いけど、世にでて子供が辛い思いをしないよう心を鬼にしてと。
それが通用しない社会に日本がなったら、お先真っ暗なんだ。