会議というのは、ガスの配管や水道菅のバルブ、調整弁、継ぎ手、メーターのようなもの。
いくら、バルブや、調整弁、継ぎ手、メーターを並べても、肝心の導管を繋がなかったら、ガスも、水も流せない。
無理にやれば大惨事になる。
当たり前な事だが、それが、今の組織では、無警戒にされている。
会議と会議の間にある作業を読んで、つなぎ合わせていくので、作業が組み込めなければ、導管のないガス配管や水道菅のようなもので、最初から機能してない。
結果は、はじめから出ている。
会議が終了したら、どのような経路を取り、あるいは、分岐して、仕事が流れていくかを絵に描く。
それが、最初の仕事であり。それを、取り仕切り、取りまとめるのが差配、支配人、マネージャの仕事なので。
単線で自分の仕事だけ考えていたら、組織にも仕事にもならない。
要かなめ、司つかさの者、例えば、支店長は、会議で結論が出たり、指示されたら、先ず、店員に、どのような仕事を割り振るかを決めて、指示する。
それが、手始めの仕事だとわきまえる。
自分が何をするかと考えたら、始末に負えなくなるからな。
学校では、人を使ってはいけない、強制は悪だなんて刷り込むけど。
それは、組織とか、世の中の仕組みがわかっていない。
あるいは、故意に混乱させようとしているからで。
そんな事、鵜呑みにしていたら、一生を台無しにするからな。
会議が計画されたら、無条件に、打ち合わせを設定する。
会議の前後に打ち合わせを設定する。
打ち合わせと打ち合わせをつなぐこ事で、仕事に区切りがつく。
打ち合わせの目的は、会議につなげると明確で、前回で決められた事と、次回までにやる事を繋ぎ合わせる事。つまり、会議につなげる前処理。
また、責任者、取り締まる者は、会議で、結論を繋げる者だから、明らかなはず。
問題は、会議が終了直後に、次回までにやる作業と、その作業を報告できるように成果物を洗い出せるか。
そのやり方がわからなければ聞く。それなりの技術が必要。
導管とつながっていない継ぎ手とかバルブ、調整弁なんて何の役にも立たない、無駄。
単なる点、泡の様なものだけど、仕事をやっているような錯覚を起こせるだけ、かえって弊害。
実際にやったみてつなぎが悪かったり、間尺が合わなかったりしたら、速やかに作業を組み替えると同時に。仕切り役に報告し。修正を求める。
途中で、つなぎをしていなかったら、つなぎ間違えたところまで遡ってやり直す。
無理して、帳尻を合わせていったら、限界に達したところで全体が崩壊する。
団体旅行で、集まってとか。
出かけるよとか、誰も声もかけず、点呼、確認もせず、計画書を手渡しているからと言って、黙って計画書通り進めたら、最後まで何人ついてこれると思う。
出発した時は、百人いたのが、最後までついてきたのは、五人しかいなっかたなんてね。
節目ふしめで声をかけっていかなければ、それが、リーダーの仕事なんだよ。
仕事は、繋ぎ、つなぎなんだ。
仕事や組織の基本は、チームワーク、連係プレーである。
お互いに声を掛け合うことが大事。
仕事とは、作業を繋ぎつなぎして組み立っていくの。
そのつなぎ目に、会議とか打ち合わせをかませる。
だから、会議や打ち合わせを手を抜くと、組織も仕事もバラバラに分解してしまう。
仕事を始める時は、作業を洗い出し、作業の手順に並べて、結び付かていく。
作業に抜け漏れがあったり、順序を間違える多場合は、作業を組み替えなければならない。
だから、前後の作業を確認して順番につなげる。
やってあるか、ないかは、決定的の事だからたえず確認をする。
やってないのにやってあると嘘つかれると大惨事につながる。
通常、会議や打ち合わせは、複数の人と作業を繋いでいる。
チャンと締まっていないと、タガが外れてバラバラになる。
嘘やごまかしが許されないのは、影響が全体に及ぶから。
やってないなら、やってないとはっきり言え。
胡麻化されるが一番怖い。
それと会議と打ち合わせの役割をよく理解しておけよ。
繋ぎなんだから、前後左右を確認する事を忘れない。
順番を間違うと最初からやり直しになるからな。
同じ仕事の繰り返しになると仕事が定型化し、仕事の組み換えをしなくなる。
そして、作業の密度を高めれば生産性が上がるが、時代や環境の変化についていけなくなる。
我々の業界はこれまで変化が乏しかったから、作業を組み換えする必要がなっかたけれど。
これからは、そうはいかないの。
指示、命令を出すというのは、想像以上に難しい。
特に、全員の口裏が取れないと統制が乱れる。
一人でも違うことを指示するとそこから仕事が破綻する。
事前にうちあわせたこと違うことをお客様に言われたら口裏が合わなくなって困るだろう。
営業の鉄則だろ。
後々収拾がつかなくなる。正直、本当に困っている。
指示、命令を出すというのは、想像以上に難しい。
特に、全員の口裏が取れないと統制が乱れる。
一人でも違うことを指示するとそこから仕事が破綻する。
事前にうちあわせたこと違うことをお客様に言われたら口裏が合わなくなって困るだろう。
営業の鉄則だろ。
後々収拾がつかなくなる。
決めるべき時に、決めるべきことを決めないと、組織は動かないんだよ。
拔け、漏れがないように、きめ細かく指示していかなければならないから、大変なんだよ。
刻一刻状況が変化してるんだから。
一回に指示したら、九回まで何も指示しなくていいなんてないだろ。同じ指示でいいということも。
命令は、訓令と号令からできている。
訓令がなければ、組織はまとまらなくなる。
訓令だけでは、組織は、動かない。
号令だけでは、組織は、まとまらない。
誰から、いつ、指示されたかが重要なので。
決まりきった事だからといって指示しなければ、筋が通らなくなり。
仕事を管理できなくなる。
固定的、定型的仕事だとしても、指示すべき者が指示しなければ統制はとれなくなるのである。
自分で指示削ないと、後の仕事の管理が出来なくなる。
だから、必ず、いつ誰が指示した事なのかを確認しろ。
社長には、社長、専務には専務、部長は部長、支店長は支店長、各々、役割が違う。役割によって出すべき指示、出すべき時が当然違ってくる。
殿様が、火の用心しろといたら。家老が火の用心をしろと下に伝え。末端のものまで火の用心と伝えたという話がある。
これでは、仕事にはならない。ただの伝言に過ぎない。
会議で結論が出たり、指示が出されたら、仕事を仕分けし、担当を決めて、指示を出し、作業を洗い出し、仕事に着手する。
仕事は一連の基本動作を組み立てて出来上がっている。
やった後だと、やった事に執着する。
やらせた後では、修正、訂正するのが難しくなる。
二度、三度というという事を聞かなくなる。
はじめにやらないと、時機を逸する事がある。
結果が出てからでは遅い。
見切り出発はするなと、くれぐれも言われた。
何事も最初が肝心。
最初がだらしないと、最後まで締まらない。
最初を曖昧のすれば、最後まで曖昧になる。
最初に責任の所在を明らかにしておかないと、最後までだらしなくなる。
けじめがなくなる。
その意味で、導入部分が大事なのだか、我々の世代以降の人は、意外とこの部分を教えてもらっていない。
質の悪い話だが、導入部分が組み立てられないと最初から躓く。
言い変えれと導入部分を教えなければ、その後仕事の段取りが組めない。
導入部分を組み立てられる人間をいつまでも頼らなければならなくなる。
だから、汚いと言うのだ。
例えば、剣道入門者は、道場の入り方、立ち位置、座る場所もわからない。
先輩が、道場の入り方から教える者だ。
仕事も同じ。
仕事への入り方が、わからなければ、仕事の中に立ち入り事もできない。
仕事の導入部分の形を覚える。
僕らは、自分の形を作れと教えられた。
我々の後輩は、導入部分や初期設定をすっ飛ばして、途中の部分から仕事に加わる事が多かった。
その為に。導入部分の組み立てや初期設定が出来なかったりいい加減になる
目的なんか作文、適当に書けばいいなんて本当に思っていたり、教えられている。
罪作りな事だ。
同様に、仕事の締め方も難しい。
同じように形を覚える。
最後がだらしないと、仕事が締まらなくなる。
要は、親決めとか、先攻後攻の決め方とか、開会の仕方、宣言のようなね。
それ自体は意味はないけど、開始や停止、再開、終了を象徴する仕種や形。
それが鍵だったりする。
入り口と出口。
仕事の成否は。入り口と出口で決まる。
人々は、表に現れた事や結果しか見ない。見ようとしない。
背後にあるネットワークを見ない。
そして、そのネットワークがどのような意図で、思想でつくられているかを理解しようとしない。
しかし、表面に現れた原書に目を奪われていると、本当に世の中を動かしている仕組みを見失う。