アフガニスタンで、日本に協力してた人を退避させることができなかったとされる。
言わば、恩人を見捨てた。
一日早く動いた国は、無事に任務を完遂できたと聞く。
たった一日遅れたというけれど。
言い訳はできない。
ただ他人事ではない。上に立つものは、心せねばならない。
責任を持て決断をするというには常に、真剣勝負なのだ。
常在戦場。
だから、責任者、指導者には、それだけの権限も権力も持たされる。
その国の、その団体の、会社の、組織の運命が託されるのである。
それだけやりがいもあるが、責任も重い。
だから、若いうちに経験を積んでおかないと、いざという時に、判断が定まらなくなり。
決断が遅れる。
だから、我々は、若いうちに責任を持たせ場数を踏ませろと…。
決断した事に、無責任な人間は、何とでも言える。
後でああだこうだ言うのは簡単だ。
しかし、決断する者は、常に最悪な事を思い、逡巡する。
不決断は、最大の誤判断。
決断が間違う事より、何も、決断しない事の方が罪が重い。
責任の重さに気が付けば、逃げ出したくなる。
でも、逃げたら終わりである。
トップというのは、名誉職とは違う。
その組織、団体にかかわる者、全ての命運がかかっている。
「たった一日だけじゃない。」では済まされない。
いくら準備しても、したりないという事はない。
決断は、感情作用。
判断は、理性。だから、論理の軌跡は追えても、決断する瞬間は飛躍している。
決断とは、決して断じる事。
冷静に考え、抜刀する気合で決断する。
心は常に、平常心。
任せるという事は、任された者は、
自分に代わって責任を受けて立っていると思い。
速やかに、確認、報告を受ける。
確認、報告が遅いというが。
任されたものは、責任を自覚すれば、必ず、必死に、確認、報告しようとする。
確認、報告が遅いのは、確認、方向を遅らせている何らかの理由が隠されているものだ。
その理由、原因の方が深刻であることが多い。
特に、任された者は、決断の重さに潰されそうなのだから。
確認、報告を聞いて、心の負担を少しでも和らげる。
決断は一人でするものだけど、心の負担を和らげることはできる。
その時、些細な事で、相手を責めないように。
一番気に病んでいるのは当人だから。
責任云々というのは、結果が出てから。
結果が出る前に、責めれば、その者は責任を負えなくなる。
それでも、落ち着いたら、必ず、検証をして、反省する。
ただ、その時は、全ての賞罰を明らかにしたうえで無責任にして行う。
おらが、おらがでは、決断はできない。
己の限界を認め、相手を受け入れるから決断はできる。
凄まじい自分との葛藤の末、相手を信じるから決断できる。
だから、感情的に決断する。裂ぱくの気合で決断する。
最後は、考えない。
考えたら、決断はできない。
決断した時から悔い始める。
悔い始めたらきりがない。
決めなければならない事は、待ったなしに連鎖的くる。
決めなければならない事には順序がある。
手順に決めていかなければならない。
頭の中に順序・手順が入っていれば問題ないが。
順序手順は、体験しなければ体得できない。
スポーツや、車の運転のようなもの。
繰り返し練習をして自分のものとする。
経験していなければ、記憶しようがない。
何が正しくて何が、間違ていたかなんって検証しようもない。
あるのは、結果だけ。
うまくやったか、どうかなんて。
いうだけ野暮。
みんな、その時そのとき、最善を尽くし。
良かれと思って決断している。
ただ、時は無情。
時は決断を迫る。
津波の時、地震が起きてから、津波が押し寄せるまでに適切な判断をしなければならない。
暴漢に襲われたら、襲い掛かってくるまでに決断しなければならない。
車が衝突した時、大破するまでに退避しなければならない。
与えられている時間は一瞬である。
考えている暇はない。
だから、その時が来たら、瞑目し覚悟して、心静かに決断する。
ただ、一言未練。