一緒にやるということの意味を正しく理解することだ。
一緒にやるということは助け合い協力してやるということで。
必ずあいてがいる。

すっぽかしたから怒っているので。そのことに鈍感になると
社会生活にも支障をきたすようになる。

ドタキャンの嫌われるが、スッポカスの致命的。
仕事には相手がいるので、スッポカスというの、相手の時間を奪う行為。また相手からされると馬鹿にされた、侮辱されたと受け止める。度重なると、相手は予定が立てられなくなり、決定的に信用を失う。
自分の都合で休むにしても、大切な打ち合わせや、会議がある場合は先方にも伝えなければならない。
仕事は、一人ではできない。

先日も会議で、不備な資料があったので、それは、今日中に作成し夕方までにはお持ちしますと決まったが未だに、説明に来ない。この様な行為がすっぽかしで。

危険なのは、当人自覚がない。

すっぽかしたら、すっぽかしたこと自体を怒っているので、穂国理由はない。だから自覚がないと怖い。
私なにか悪い事したかしら。すっぽかしたことが致命的なのだという事で。ただ、相手は、すっぽかしたことを理由に挙げる事は少ない。
だから問題の争点がずれる。相手は侮辱された、軽く見られたと思う。それに対し、すっぽかしたことじたい気が付いっていない危険性すらある。
この意識のずれが社会生活では決定的になる。

つまり、すっぽかしというのは約束を破る、契約を一方的に破棄するという事を意味する。

打ち合わせで決められた事は契約に準じる事で非常に社会的には重い。

決められた事が守れないと気がついたら速やかに相手にスケジュールの変更を求める。
当方の都合なら、次の予定を当方が責任をもって準備する。これが最低限の礼儀。

そうすれば、単なるスケジュールの変更で始末し、文句言う人が少ない。それでもドタキャンは嫌われる。予定が狂うからである。仕事には相手がいる。

すっぽかしは相手の存在そのものを無視する事になる。

一緒にやるということの意味を正しく理解することだ。
一緒にやるということは助け合い協力してやるということで。
必ずあいてがいる。
自分の考えを言ってもいいが決定には従う。
リーダーは、相手の意見を聞かなければならないが、決定は、自分の責任で決定する。
部門長は、自分の考えをトップに伝えなければならい。
しかし、トップの決定に従う。
なぜなら、全体は一致した行動が求められるから、決定は、一つでなければならない。
部門長が自分の考えを言えるのは、決定権がトップのあるから。

約束を守っていない。
すっぽかし、ほったらかしているのが問題なので。

約束は守りましょう。

約束は守りましょうというレベルの話なんだよ。
会議や打合せで決まった事は、約束なんだよ。

明日の五時までにはお返事しますというのは、約束なんだよ。

静岡駅の改札に六時に来てと約束したのに、何の連絡もしないですっぽかしたら相手は怒るでしょう。
「急用ができて」とか言い訳しても「連絡できなかったの」とただしてくるでしょ。
況や、「ごめん、うっかりして」なんて言うものなら。
それで、「何が悪いのよ」逆切れしたり、怒り出したとしてもだよ。

それが一人ではこなしきれないとしてら、役割を決めて分担しなければ。

すっぽかしたことが悪いと言ってるので。
それは約束を守ろうという事で。

会議、打ち合わせで次までにやってきてとか。調べてときまり。自分が担当になったらそれは約束と同じ。
もっと厳しい見方をしたらそれは契約と同じ。

内容に関し不満があるかないかは別の話。
先ず、約束を守ろうねという事で。
それでなくとも、ああいった、こういったともめているんだから。

お客様をすっぽかすのと、お客様にすっぽかされるのとは多少の違いはあるけれど。
自分に都合が悪いからとすっぽかしていたら、社会人としての信用を失うし。
それが許されると思ったら会社の信用なんて何百年かかってもできないと。

できないなら、できないで、できないとわかった時点で、早く言え。
わからないならわからないと言え。
見てないなら満たないと言え。
嘘ごまかしが一番悪い、
やったなくても、わからなくても、早く後始末しなければならない。
早くわかれば打つ手があるが、嘘つかれて手遅れ、後手に回ったら、目も当てられない。

事前に断れば、それは、単に事務的な話で済まされるけどね。
すっぽかしたら、話が違ってくる。