そこまで細かくと思うほど詰める。
できるようになるまで詰める。
任せるのはいいが、担当した者が、迷わないところまで、判断できるところまで詰める。
実際に仕事を任されたものは、細かいディテール、詳細の部分で決められなくなる。
だから、細かいところを任されても困るのだ。
実際に仕事をする者が迷ったり、困ったりしないようにしろ。
今の指示で、担当した者が実際に仕事できると思うか。
今の指示で仕事ができるかと絶えず糺された。

例えば、帰省列車の切符を手配するよう指示した時の話だが、一ヵ月くらい前に購入しないと手に入らなくなる可能性がある。手配を指示した者は、帰省する日の一日前か、直前に決めればいいと思っているかもしれないが、指示されたものは、責任をもって購入しなければならず。一ヵ月前には、出発駅と行先、何月何日、何時の切符、指定なのか、指定でないのか、禁煙車か、人数、窓側の席か、号車の指定はあるかなどの詳細を決めてもらわないと責任が持てない。それを適当に任せるからと言われても実際に仕事をする者、任されたも者は、手配できない。
だから、俺だってきちんと指示しなければ担当者から叱られた。当たり前な事。
責任を持たされているのは、担当者なのだから。

接待用のお店の手配を任された時も、相手がどういう人で、どの様な目的で、予算はどれくらいで、先方の人数は、当方の責任者は、好みの物は、嫌いな物はなにか、手土産を用意しておく必要があるのか、送迎はどうするのか、大部屋がいいのか、個室がいいのか、帰りの時間、電車の手配もしておくべきなのかなど、こまごまとした点を詰めておく必要がある。そうしないと責任が持てない。ただ、お店を手配しておいてでは仕事にならない。

我々が若い頃は、携帯電話などという便利な物はないから、指示された時にしっかりと確認できないと出先では確認するのが難しい。間違えば叱られるし、責任が問われる。
だから、自分が出来るようになるまで、責任が持てるようになるまで、その場で決めてもらい、確認するよう厳命されていた。
一度、その場から離れたら確認のしようがなくなるからなと。確認できないからと言って勝手に判断したらいけない。だから、都度、真剣勝負だった。それで鍛えられたのだ。
兎に角、仕事が出来るようになるところまで、妥協なく詰める。
それが仕事。プロの仕事。

オーダー、する者、指示する者は、正直、面倒くさいのだ。面倒くさいから、根がなくなると適当に、任せたくなる。しかし、面倒くさいからと言って任された者は、堪ったものではない。失敗した時に責任を問われるのは、実際にやった担当者なのであるから。指示した者もそこまで責任を負えない。だから、最初にくどいほど確認する。それが身の為なのであり、指示者は、最後まで詰める責任がある。
面倒くさいでは済まないのである。

太っ腹に見せて任せるなんて言うのは、大体、嘘パッチ。面倒くさいというのが正直なところ。騙されてはいけない。決められなくなるのは、一見どうでもいい、何でもないような事。どうでもいい、なんでもいい事だから、決められなくなると厄介なのである。

友達同士なら、しつこい、くどい、厳しいは、忌むべき事かねしれないが、仕事においては美徳と心得よ。