仕事というのは、考えや思いを実体のある物や事に置き換えて実現する事。
例えば、美味しい物が食べたいなとか、皆とどこかへ行きたいなと考えたり、思っているだけでは、何も実現できない。
美味しい物って具体的に何を言うの。
それは、自分で調理するの、それとも、レストランに行くの。
自分で調理するとして、作り方わかっているのと、一つ一つ具体的な物や事に置き換えて。
更に、行動に移す。
行動に移せなければ、何も、仕事にはならない。
実現もできない。

仕事にするというのは、作業に置き換えてかんげることで。
例えば、趣旨・目的を決めると言っても、いきなり、趣旨とは、目的とはと考えるのではなく。
趣旨を決めるためには、どのような作業があるのかを考える。
そのために、趣旨をどのように表現するのか(書式)を予め設定する。
作業に置き換えることによって、趣旨を定義するのが、要件定義である。

まず、その場で決められるか、どうかを判断する。
その場では決められないとわかったら、速やかに、どうしたら決められるかに頭を切り替える。
資料がなくて、決められなければ、資料を用意するにはどうしたらいいかを考える。
調べる必要があるなら、誰がいつまでに何を調べるかを決める。
手続きが必要なら誰から手続きを打ち合わせる。
聞かなければならないなら、どのような経路を使って、誰から聞かせるかを決める。
その場で、決められないのがわかっていながら、いつまでも、ダラダラと会議を続けるのは、時間の無駄。
体力も、気力も、消耗させるだけ。
決められる事を決められる範囲で決める。

ざっくりと決めておいてから、個々の要素を詰めていく。
詰めは厳しくが鉄則。

何も決められない時は、次回いつするかを決める。
そうすれば、何も、決まらないなてことにならない。一つは結果が出る。
次回が、決まれば、やることの目処も立つ。
結論が出ないときは、結論を出すために必要な事や作業を考える。
学生時代、合コンした後きいたけど、次のデート決めた、あるいは、電話番号聞いたかって。
どっちか聞いてないと次ないよって。
もてない奴はどっちも聞いてないんだよな。
舞い上がっていて。
抜け目ない奴はちゃんと聞いている。
仕事も同じさ。
次いつやるかを決めるか、なにか決定的な事を決めておかないと次がないんだよな。
決められることをきめられる範囲で決める。

最終ゴールを決めたら、マイルストーンを定め、日程を刻んで道筋を決める。

次回が決まっていないと、結果で合わせることになる。
結果で合わせようとすると、目的、目標、当初の設定が見失われるから、感情的になる。

マネージャーの仕事は、決められた時に、決められた成果を上げて、自分の所属する部署の人を連れて行くことである。
一つの部署でも集まらないと組織は破綻する。

組織は、単独行動、別行動は、許されない。

特に、マネージャーはね。
一致団結して目標を目指すのが組織である。

定例会議や締め日を一ヶ月に設定すること、一ヶ月単位を区切り、その間に定型業務を組み込む。
それでも、最終的に作業を確定できるのは、一両日。

どうやって、年間計画立てる。
わかりません。
理事会は、年、何回ある。
三回です。
その周期は一定しているの。
大体、三ヶ月に一度です。
じゃあ、理事会を基準にしたら、年間の枠組みができるじゃあない。何月にするか決まっているの。
いえ、まだです。
じゃあ何月にやりかあたりをつけようか。
ハイ。
目処をつけるヒントはある。
去年の記録があります。
そう、じゃあそれ以前の記録ある。
二十年間の記録があります。
そんなにいらないから、向こう5年間の記録を調べようか。どれくらいかかる。
三十分くらいですね。
じゃあ三十分後にうちあわせしようか。

こんな手順で仕事にしていく。

会社というのは、例えば、百人の社員がいれば、百人が異質な作業を同時並行的に、実施しているシステムなの。
一工程、一時間として、仮に、一月の実稼働日を二十日とし、一日八時間、即ち、八工程とすると、一ヶ月だけで一万六千工程の作業を制御する必要が生じる。
だから、作業を標準化、平準化、マニュアル化するして、効率化した。
千人の組織なら、十六万、一万人なら百六十万の作業が同時並行で進むことになる。
だから、何十万という兵士運用する軍事がどれほど凄かいか。
それが民間に転用されてシステム化がされた。
その技術が残念ながら今の日本では継承されていない。

システム化の初期には、抜け、漏れ、重複なく、すべての作業を動作レベルまで読むなければならなかったからね。

百人の会社と言え、年間、二十万を超える作業を、記憶とひらめきだけで制御できると思っているんだから感心するよ。
以前のマネージャーは、伝票や手続きを設定し、企画書、日程表、稟議書、議事録、顧客表、社員名簿、報告書を作らせ、システム化をし、日々、日報、月報を確認し、定例会を設定して仕事合わせをして必死に組織を制御してきたんじゃあないか。
自分の事、神か、超人だと思っているんじゃあない。
基本的ルール。簡単な決まりを守れと言ってんだ。
言われたことを忠実に守らないと、組織が制御できなくなるんだ。

二十万と言ってもそれは、一時間単位で、動作レベルまでいったら、その数百倍のパーツがある。
何千万、下手をすると億単位の部品で成り立っている。
それを、記憶と勘、経験だけに頼ろうというのだから。超人だよ。

定型業務を、繰り返していれば仕事が回っているうちは、適当にやっても誤魔化しができた。
何も変わりませんよと腹の底で薄ら笑っていればいい。
しかし、コロナはそんな甘えを吹き飛ばしてしまった。
もっとも、コロナ以前なんてとうの昔に限界を超え、先送りが許される余地は少なかったのだけど。

打ち合わせによって枠組みを作り、打ち合わせと打ち合わせの間の作業を洗い出し、作業と作業を関連付ける事で仕事を組み立て、工数を計算する。
全体は、一点からはじめ、一点に収束するようにして、全体の整合性を保つ。
パーツの作業は可能な限り定型化し、基本の形を社員に予め浸透させておく。
ルールはなるべく簡単で少ないものにし、万人が理解できるものとする。
サルでもできるが合言葉だった時代もある。
これが、組織制御の鉄則。

初期設定がされていないと、最初から仕事は破綻する。
だから、要件定義を重視する。
初期のシステム屋は、全体をいくつかの部分に分解し、特定の部分の全ての作業を洗い出し、関連付けてシステムを組み立てた。
今は、そうして組み立てたパーツを統合し、全体を一つのシステムに組み上げる段階にきた。
でも、全体を組み立てる以前に基礎技術をマスターしている技術者が絶滅状態。

毎年、同じ事を繰り返していれば、仕事が回っているうちはいいが、コロナの様に仕事を根本からやり直すとなると、作業の組み立て直さなければならなくなると、全く、馬鹿になる。

組織は、作業の体系だけでなく。
会計や心理学、人間関係、人事制度、人間工学、管理論、法学、社会学、経済学などが複雑に絡み合っているから、総合科学と言われる由縁だね。

昔は、オーケストラの指揮者とか、軍の大将とか、外科チームのリーダーとかが憧れの仕事だったんだけどね。

定型化した部分を統合し、システム化しようというのが、AIの根本理念なんだけど。
どうかな、システムをゼロから組み立てた人間ならシステムの限界が理解できるだろうけど。
いい例が会計システムで、会計をシステム化した為に、会計がブラックボックス化してしまい。
仕分けのできるものがいなくなった。

開発に必要なのは、人数ではない。
データベースとユーザインタフェース、そして、要件定義だ。
AIというのは元々、人間の意思決定を補佐する目的で作られたもので、AI化が進めば進むほど人間の生々しい仕事が残されていく。
その意味では仕事が減るどころか増えていく。

基本を守れよ。
正式に開始会議を会議を開いたら、次回までにやってくることを洗い出し。
役割分担を決め。
各々が、次までにやってくることを決め。
記録する。

二回目からは、前回決めたことを確認し。
進捗状態を確認し。
各人の進捗状態に応じて作業を組み換え。
役割分担を改めて振り分け。
次回、いつやるかを決め。
各人が次回までにやってくることを確認し。
記録して、各々の上司に報告をする。

それを繰り返す。
ただそれだけ。
難しいことを言っているわけではないの。

次、いつやる。
それまでに、何をする。
今決めた事、記録して。
この三つを守れば、仕事は、取り合えづ繋がる。

記録を取らないで、次回を決めなければ、その段階で打ち合わせは失敗なの。
だから、初期設定が計画の成否を左右する。

次回が決まっていないと、結果で合わせることになる。
結果で合わせようとすると、目的、目標、当初の設定が見失われるから、感情的になる。

記録がなければ確認のしようがないから、記憶に頼らざるを得なくなる。
一度に記憶できる量には限りがあり。しかも、三日も経つとほとんどが忘れられる。
記憶している事は個人差がある。

記録しておかなければ打ち合わせなんてしても意味ない。
約束したところで守られない。
結局、何を決めたところで無視されて、独断で仕事することになり。
前作業との繋がりもなくなる。
我儘な仕事になり、誰も納得しない。

次回を決めておかないと日限が決まらないから作業、やる事が確定できない。
日限のない仕事は底のないバケツみたいな仕事。
日限がなければ仕事に着手することもできない。
指図もできないから部下にバカされ。
言うことをきかなくなる。

次の日が決まっていない。
何をするかが決まっていない。
記録がない。
三つのうち一つでもあれば、その段階で、打ち合わせは失敗とみなされる。

打ち合わせと打ち合わせのつながりが途切れたら。
計画の整合性は失われる。

この原則を外した途端、仕事も組織も、バラバラに解体し。
しかも、修復が不可能になり。
失敗した原因もつかめなくなる。
アメリカの会計原則の要は追跡可能性なんだ。

仕事には連続性が求められる。
打ち合わせと打ち合わせの間の関連性が、失われると、仕事の連続性が保てなくなる。
記録があれば、打ち合わせと打ち合わせとの間の脈絡が保たれる。
前回の結論と前回から今回までの作業の進捗状況、他の作業との釣り合い等が検証される。
それによって全体の足並みを揃え、ここの作業の進捗を調節する事を可能とするのである。

優秀な人程、この原則だけは外してなかったよ。
単純て簡単だからこそ基本中の基本なんだ。

伝票も手続きも皆、この原則に基づいている。

レストランでたかだか一時間くらいの作業でも伝票に記録を取り確認する。

前回、何をしてくることに決めたっけ。確認しよう。
それで、決めた事、どうなった。報告して。
次、いつやる。
それまでに、何をしてくる。何を用意するか決めよう。
記録に基づいて、結論を確認して。

こういう風に質問すればいいだけ。

色々な科学者や実務家と仕事してきたけど、一流と言われる人程、まめに記録を取り。
基本に忠実だったよ。
三流な人間ほど、スタンドプレーに走り、楽しようと手抜きばかりしている。