おいおいわかるよ。
我々が、会計を機械化する時、問題としたのは、会計がブラックボックス化するという事。
かつては、伝票は、手計算で集計し、月次決算書を作成してきた。
経理部というと、どの会社でも大所帯だった。
経理の責任者は、会計の段取りを全て頭に入れていた。
その上で役割り分担をして、一人ひとりを管理してきた。
個々の担当者は、経験的に、あるいは、感覚的に、会計の内容を理解してた。
例えば、積み上げた伝票の高さで、大おおよその売り上げなどをつかんだり。
集計しながら、異常値などをつかんだ。
確かに集計したり、分析するのは、時間もかかり手数もかかった。
それを機械化すると、時間も短縮でき、工数も省けた。
しかし、異常値の発見や仕分けができなくなり。
会計処理に融通がきかなくなった。
楽になった分、本質が失われたのである。
これが現実なのである。
結果だけで見たら、その裏の隠された現実が見えなくなるのである。
だけど結果ばかりを追い求めているから。
物事の本質が見えてこない。
ブラックボックス化をなぜ恐れたのか。
会計の本質は過程にあるからである。
難しい経営指標がわからなくても、経理の女子事務員でも、経営の先行きの兆しをつかむことができた。
経理のエセンスは、過程にあったのである。
経理を機械化してしまうと、その過程が失われてしまうのである。
最初は、話を聞いておけばいい。おいおい、わかってくるよ。
最初にわかりましたなんて言うと怒られた。
わかったというのならやってみろ。
未熟なのを知って任せているのである。
わからなくて当たり前。
できなくて当たり前。
それを承知の上で任せているのだから。
なまじわかりましたなんて言うな。
とにかくやってみろ。
兎に角、始めろ。
教えられない事がある。
やらねばわからない事がある。
おいおい、わかてくるから。
やっているうちに、できるようになるから。
昔は、バッチ処理が当たり前だったけど、バッチ処理をしたら管理が難しいので、対話型に切り替えたのである。
スマホや携帯は対話型が当たり前。
手間暇かけるからできるようになることがある。
やらなければわからない事もある。
機械化した事で月次決算ができなくなり。
機械化した事で経理のわかる人いなくなったら。
何のために合理化するのかわからないではないか。
とにもかくにも、やり抜く事だよ。
ある日、忽然と解るという事もあるさ。
やれよ。やればわかるんだよ。
素直になれよ。
車の運転は、実際に運転しなければ、覚えないんだよ。
ゴチャゴチャ、言ってないでやれよ。
言い換えるな。
学校では、自分の言葉とか何とか言って言い換えさせて今うけど。
職場では、一言一句、同じように言えないと始まらない。
会議は、会議。それを、ミーティングとか、打ち合わせとか言い換えない。
とにかく、しつこくやっていれば忽然と解る時が来る。
花開くように。
さなぎから蝶になるように。
その時のためにくどくど言ってんだから。