束ね役の者は、全員の報告を聞いたら、進捗状況、環境の変化に従って作業を組み換え、次に何をしたらいいかを指示する。
今回は、話を聞く程度にとか。こちらの方針だけは伝えておくとか。
見通しは言っておくとか。
その時その時、全員の意志を統一しておかないと、仕事のバランスがとれなくなる。
指示は一括して出す場合もあれば、個別に出すこともある。
指示は、記録していないと出す傍から、忘れる。
指示される側だけでなく。指示する側だって忘れる。
状況も刻一刻変わっていく。
条件も変わていく。
だから、その場で、記録し確認する。
最初から、抜け漏れなく完璧な指示を出せる人なんてめったにいない。
最初に出される指示・命令なんて、完成度も低いし、不完全なもの。
大体、仕事は相手がいるもので、相手の都合を無視したら決められない事が多い。
だから、最初から、完成度など求める必要がない。
最初の仕事は、共同して完成させること。
だから、最初の指示を忠実に再現した上で、抜け漏れ、重複がないか、矛盾してないか、考え違い、思い違い、聞き損じ、聞き間違い、実現不可能でないかをチェックする事から着手する。
指示を完成した上で、どこから着手するかを決める。
要するに、どうする、どうするである。
その場つなぎの指示を出していると全体が見えなくなり、まとまりがなくなる。
どんな些細な仕事も最初に、マスタープランを描き癖をつける。
兎に角、思い浮かんだこと、聞いた事、見た事を紙に書いて記録する癖をつける。
写メ、コピペだけでは、かえって障害になる。
自分で整理するから、自分のものにできる。
自分でやってみないとわからない。
報告によって一旦頭の中を整理し、マスタープランを頭に描く。
どんな作業もマスタープランなしにやろうとすればどこかで破綻する。
やっつけ仕事の悪い癖がつく。
何事も段取り八分。
何か、とにかくやってから、調節すればいいと考えている人が結構いる。
しかし、やってからでは遅い。
収拾がつかなくなることが多い。
なんの考えもなしに、準備もせずにやる仕事を。やっつけ仕事と言って嫌われた。
きちんと最初に整理し、準備が済んでから仕事にかかれと怒られたものである。
兎に角、自分で紙に書いて確認する癖をつける。
紙に書いたものを皆で見せ合って抜け漏れを確認する。
同じ指示でも、聞く人によって違う。
しかし、間違いというわけではない。
立場や役割の違いによって受け取り方が違うのである。
経験や知識の差もある。
だから、一旦、紙に書いて、みんなで見せ合って、相互の違いを確認する必要がある。
違って当たり前であり。
いきなり、無理やり、統一するのでなく、先ず違いを確認する。
拔け、漏れがないように、きめ細かく指示していかなければならないから、大変なんだよ。
刻一刻状況が変化してるんだから。
一回に指示したら、九回まで何も指示しなくていいなんてないだろ。
同じ指示でいいということもあれば、都度変えなければならない指示もある。
ケースバイケースさ。
言われた事を一言一句間違えずに復元するのは難しい。
しかし、報告の大原則は、まず、事実を伝える事。
その為には、先ず事実を正確に確認する必要がある。
相手の指示や注文を忠実に再現する事に始まる。
指示された事を忠実に再現できなければ、最初から間違う事になる。
しかし、指示されたことを間違いなく再現すると言うのは、簡単そうで難しい。
だから誤魔化したり、自分で言い変えたりする。
それが間違いのもとである。
指示された事で自分の考えで変える事は、許されない。
自分の考えを持てと言うのと、言われたことを忠実に再現しろというのは意味が違う。
先ず、指示された事を忠実に再現して確認をしたうえで、抜け漏れをチェックし、指示命令を完成させ。
その後、指示された事を、どのように実現していくのか。仕事にしていくのである。
仕事にしていく段階では、自分の考えを持たなければ、仕事を組み立てる事が出来ない。
任されれば任さるほど報告をするよう心がけた。
任されるということと、自分勝手にやるということを錯覚するものが時々いる。
任されるということと自分勝手にやっていいといこととは違う。
よく任されたんだからと報告しなくなる人がいるが、とんでもない思い違いである。
一つの仕事、部署を任されたと言っても、組織は組織であり。
チームワークであることに変わりはないのである。
任された、むしろ、自分から報告するように心がけないと、組織の中で孤立する。
自分が受け持ったパーツを責任をもって仕様通りにやり遂げること。
仕様には、期日が含まれるからね。
確実に期日までにやる。
仕様は、作業に着手する前に決まっていて、確認しないとね。
そして、報告をする。
報告していないことはやってない。
仕事は、一人ではできない。
必ず相手がいる。
各々が各自報告書を作成すること。
報告する項目は、
一つ、報告書の作成日。
一つ、報告者名。
一つ、宛先。
一つ、訪問目的。
一つ、訪問日時。
一つ、訪問場所。
一つ、相手。
一つ、訪問した者。役割分担。
一つ、用意した物。
一つ、相手からの指摘事項、要望。
一つ、当方が請け負ったこと。合意事項。
一つ、反省点。
一つ、次回はいつやるのか。
一つ、次回までにやっておく事、
一つ、分担。
一つ、次回までに用意すること。
報告書は、事前に打ち合わせることなく、各自が自分が感じたことを自分の考えで書くこと。
大切なのは、それぞれがそれぞれの視点で捉えたこと、事実が知りたいので。口裏を報告する前に合わせられたら、複数で行った意味がない。
報告書は、各自が責任を持て作成する事。
報告書が提出されたら事務局は、速やか(基本一両日中)に関係者を集める。
主管、統括は、関係者の訪問結果を分析し、次回訪問の際の方針、メンバーを決め。
次回までに、準備する事、やっておくことを関係部署に指示する。
報告書は各自示し合わせることなく、報告する事。
それぞれの見解が違っても、感情的になったり。
相手を責めない事。
見解の相違が知りたいので、大切なのは事実だから。
また、特に、問題点や、失敗、ミス、忘れた事、相手の指摘事項を隠さない事。
その点が肝心、知りたいのだから。
結論が出たたら関係者、TODO票を作成し総括に提出する事。
インプットとアウトプット。
入力と出力。
報告が入力なら、指示・命令が出力。
出力までいかないと具体的にならない。
行動に移せなければ、ストレスがたまるだけ。
かえって悪い。
言うだけならだれでもできる。
批判するだけで行動しなければ卑劣だ。
対策を立て、実行するから、報告する意味がある。
我々が聞きたいのは、問題点やミスす、失敗、クレーム。
しかし当事者にとって一番厭な事、隠したい事。
痛いところで、触れられたくない事。
だから、触れられただけで感情的にもなる。
それは、自分が後ろめたい事があるから、自責の念があるからで。
言い訳したり、人の性にしようとする。
批判したり、愚痴をこぼす。
一々、考え込んでいたら、精神が持たない。
解決しなければ不満がたまるだけ。
前向きに取り組むしかない。
目を瞑ったところで問題は解決しない。
逃げたら、事態はさらに悪くなるだけ。
重要な仕事になっている者が急にいなくなったとして、その人がいなくなった事より、その人がいなくなった事で仕事に穴が開くことが問題なのだ。
個人的感情とは別。
個人的感情と仕事とを一緒くたにする事はできない。
そこを間違わないように。
頭を速やかに切り替えるよう。
昔、秘書課の社員が、スキーに行って、骨折したら。
文句なく移動させられた。組織とはそういうもの。
ただ、仕事に影響を与える事があったら。それは事前に排除しておく。
トップが、自分で運転をしないのは、自分が運転していて事故を起こしたら、平静さを保つのが難しいからだ。
自分が運転席で事故を起こすのとと後方の席では、精神的ダメージが雲泥の差である。
トップは、常に、冷静な判断が求められる。
常にクールでないといけない。だから。トップに極力、運転をさせない。
それぞれの言い分を聞くとその時は、それぞれの言い分が一理あるとしても出すべき結論は一つ。
だから、感情を交えず、事実を確認することから始める。
自分の言い分を言ったら、最終判断は、決定権者に任せる。
仕事は、事前に取り決めをするのが原則。
契約は事前に取り決めるので、事後ではない。
事後承諾は、やむおえない場合のみ許される。
指示は、仕事に着手する前に発する。
見切り出発は許されない。
兎に角、始めてしまえなどとしたらケジメがなくなる。
何事も、最初が肝心。
だから、報告を受けたらマスタープランを立てる。
担当者は、報告してから帰る。
束ねは、全て報告を聞いてから帰る。
それが、鉄則だった。
今のお役所は、報告の意味がわかていないから、無駄な仕事と切って捨てた。
そのおかげで、組織が崩壊しつつある。
子供の頃、学校から帰ってきたら、親にねえ聞いて、聞いてって子どもたちが言うだろう。
それが報告さ。
それで、その日あった事や指示された事を紙に書いて整理してから相談する。
そういう習慣が身についていれば、人と何でも相談することができるようになる。
子供の話をよく聞くのは、親にとって楽なことではない。でも親の責任さ。
報告はただ、すればいいと言うのではなく。
報告によって仕事の仕様を構成してきたのである。