いい加減、若い者には、かなわないと認めようよ。
若い者には、まだまだ、負けないなんて言っているから相手にされなくなるんだよ。
余計な事言って、若い者を惑わせるのはやめようよ。
わかるよ。何か言いたくなったり、手を出したくなるは、それが、余計なんだよ。
余命なんて言われたとたん、ドラマが始まったりさ。
おかしいと思はない。
あと何年で死ぬなんて宣言されなくても、死ぬ事はわかっているんだからさ。
あと何年生きられなんて宣言されなくてもさ。
覚悟して生きようよ。悔いなくね。
年をとると、なんで、こんなに臆病になるんだろう。
過去の事とやかく言ってんじゃなくて。
これからの事さ。
俺も、いつまでも、未練がましくしていられないからな。
これからの事さ。
どうしたら、これから自分の志、節操を守って生きていくか。
晩節を汚したくないし。惨めに老いていくのも厭だから。
これからさ。これからの事さ。
必要としてくれる人の為にね。
生きるさ。
だからいつまでも若いつもりではやってられない。
確かに、若い者にかなわないところがある。
それは、率直に認めようよ。
でも年寄りにしかできない事もある。
それを自覚する為にも若い者にかなわないことを認めよう。
そこは、若い者に任せよう。
年寄りには、年寄りの生きる道がある。
失うものなんて何もないじゃない。
もう一戦するか。
まだ、朽ち果てたりしないさ。
今更、若いのと競ったところで意味ないじゃあない。
それよりさ、前を見ようよ。
可能性は残されいるんだから。
体力を必要とする事とかさ、新し事とかさ。
もう、若い者に任せて。
俺たちは俺たちの道を行こうよ。
無理してさ若作りしてさ、厚化粧して誤魔化しても、みっともないだけさ。
歳をとったら薄化粧でいいのさ。
素で勝負するしかないよ。
そうやって、昔は、きれいに年を重ねた人が沢山いたのに。
今は年をとるのが惨めに思える。
耳順。
六十にして耳に順う。
孔子のこの言葉は凄いな。
六十にして人の話が素直に聞けるようになったというのだから。
お互い歳をとったなって、笑いながら、目と目を見る。