あなたが、あなたなら、あなたらしく生きるしかないよ。
あなたが、あなただというのなら、あなたらしく生きるしかない。
あなたが、あなたでしかないのなら、あなたらしく生きるしかないよ。
あなたは、あなたでしかないのだから、あなたらしく生きるしかないよ。

自分が決める。
自分で決める。
それが大切なんだ。
どんな事だって自分が原点。
自由な組織にしたいならば、一人ひとり、自分で決められるようにする事。

自分で決められない。
自分が決めたら怒られる。
そんな状態が、不自由にするんだ。
自分で決められさえすれば、人はいつだって自由さ。
自分で決められるなら、組織の中にいたって、自由さ。
例え、人の言いなりに見えてもね。
自分で、決められるなら、自由さ。
自儘に生きているように見える人でも、自分がなければ不自由さ。
心無い生き方しているだけだからね。人に操られているだけさ。
自由になりたければ、自分の力で生きていく事。
どんなに貧しくても、自分さえ失わなければ、いつだって、心は自由さ。
独立とはそういう事さ。

組織的な活動というのは、一種の大工仕事、工作のようなもの。
全体像を描いて、部分を組み立てていく。
匠、技術が必要。
それを、悪い事だと、戦後、日本では教育した。
だから、段取り、組織の組み立てが、今の日本人はできなくなりつつある。
怖いのは、集団活動や組織の運用、チームワークの技術を、非人道的な行為だと、刷り込まれている事である。組織嫌いが増えている。
組織は、生き物であり、魂がある。
魂や命を抜かれたら、組織は、魂のない屍、形骸でしかない。
ゾンビのような組織になる。
惰性で動いているだけに過ぎなくなる。
舵もなく、羅針盤もなく大海を漂っているようなもの。
変革や革新的な事に対応できなくなれば、生き残る事は出来なくなる。
ただ、ただ、老い、衰退していく。
今の日本がそれだ。

事を為すためには、手順があり、段取りがある。
物事を決めていくのには、手順があり、手順を間違うと全ての段取りが狂う。
始めたそばから、組織も、仕事も、分解していく。
物事は手順に決めていく。

なんでも、最初に決めないと始まらない。
先送りしていたら、仕事は、逃げ水のように逃げていく。
首根っこを抑えろ。尻尾を掴もうとしては駄目。
お終いが頭になってしまう。
仕事は前決め。
後決めはない。
事前に承認をとるのが、原則。
事後承認は基本的に駄目。

最初にきちんと段取りしておかないと
仕事を遡って決めるようになる。
そうなったら、仕事は、頭に向かって逆流し、最初からやり直しになる。

なぜ、方針が必要か。
なぜ、方針が大切かって。
それは、組織だからさ。
そりゃあ、一人で仕事をする時だって、方針を、決めた方がいいに決まっている。
それに、一人仕事だから、方針を立てなくてもいいという訳ではないけど。
なぜ、方針を決めるのかといえば、組織だからと答えるしかない。
心を一つにして一つの方向に向かわせる。
その為に方針を決める。
方針は、方向を示す。
つまり、ベクトルを合わせる為に定める。
方針は、指針である。一つの方向を示す。だから、方針。
だから、一つ。
一つだから、一人から発する。
方針を決める者こそ、始源、原点である。
何人であろうと、何十人であろうと、何百人であろうと、何千人、何万人、何十万にし、何億人であろうと、集団、組織の方針を決めるのは一人。
人で統一する。それが大原則、大前提。
誰が方針を定めるかを選び、定める。
それが全ての始まり。

組織は独りでは成り立たない。
組織は、一人では動かない。
故に、組織的な仕事は、声かけから始まる。
独りが他者に声をかけ。
最初の集団、核となる集団を集める。
徒党を組む。

組織は宇宙である。
組織の始まりは、ビックバンのようなもの。
一点から始まる。
最初の合意、最初の契約が始点となる。
それが声かけである。
そして、それは暗黙の全員一致の前提となる。
全てに核があり、核は魂を発する。
魂は、命を組織に吹き込む。
魂のない組織は、骸であり、醜悪に腐敗する。

次に、指導者を選ぶ。
指導者は確定しているわけではない。
集団が拡大し、成長するに従って、指導者は変わる。
始まりは混沌とした状態から始まる。
やがて、それが、澄んで、秩序が生まれ、組織が形作られる。
それは新たな魂が生まれいずる時、組織は生き物であり。
組織には意志がある。
組織の意志に背けば、独裁者でも組織によって滅ぼされる。
指導者は、組織の魂が宿る。
指導者の志は、組織に規律をもたらす。
組織の精神が指導者の精神となり、指導者の姿勢が、組織の姿勢を形作る。

組織は段階的に物事を決めていく。
意思決定には手順があり、段階がある。
一足飛びに結論に至るわけではない。
つまり、計画も、事業も、組織も構造物なのである。
人の頭、集団の頭の中に構築される構造物なのである。
だから、組織は、一つの構想を共有する必要がある。
それが一番の課題だという事を忘れてはならない。
一人の頭の中にあるのは、構想でなく、妄想である。
妄想に実体を与え、実現するのが組織である。
人の集団である。

物事を決めるのには、手順がある。
だから、何から始めるか、何から決めるか、、何から着手するか、それが一番最初の仕事になる。

まず項目を上げる。
項目は、簡単なものでいい。
最初から凝ったものや精緻なものになると後工程が窮屈になる。
だから、大枠を決めると我々は言われた。
まずこの辺までは、一人仕事でいい。
立案者の頭の中で組み立てる。
大枠が出来たら、適当な相手を決める。
この辺は、予備段階である。
項目を上げたら、どこから着手するかを決めていく。

例えば、主旨、目的、日時、場所、責任体制、メンバー、役割分担などの項目があるとする。どこから着手するかの絶対的な決まりはない。先ず、どこから着手するかを決める。
指導者は決める。
一般に主旨、目的から着手する。しかし、これも決まりはない。
根本は、言葉にもならない構想だからである。
故に、中心となる人、あるいは、法で統一する。

どこから着手するかを決めたら、次に、決め方から決めていく。
決め方を決めると言うと違和感があるかもしれないが、
物事を、決められない原因の多くは、決め方が、わからない事にある。
特に、正式な決め方がわからずに、暗黙に決めるとか、既成事実を作って決めるとか、決められた事を仮想して進めるとか、自分だけで決めるとかして、無理矢理、強引に仕事を進めようとする。
それではうまくいくはずがない。
問題が生じても、元には戻れなくなる。
最初が曖昧だから、何もかもが無責任で曖昧になる。
最初っから誰も責任なんて老いやしない。
失敗した時の言い訳を、はじめから考え、誰も決めてくれないと、他人の性にする。

一番問題なのは、決まっているんだか、決まっていないのかわからなかったり、どちらにでもとれたり、解釈の仕方でどうにでもなる。
自分勝手に決めたつもりになったり、誰かが決めてくれると決めつけていたり、結局、誰が、責任をもって決めるか、誰もわかっていなかったりする。
それは、正式に決め方を決めていない。あるいは、決め方がわからない事が原因なのである。

日本人は、民主主義の根幹を理解していない。
日本人は、民主主義を話し合いだとして、話せばわかると思い込んでいる。
民主主義の根幹は、話してもわからないという事を、
前提として、ルールに基づく話し合いをする事である。
話せばわかると思い込んでいるから、話せばわかると、
最初に、話し合いのルールを決めないのである。
話し合いのルールは、決め方のルールでもある。
最初に決め方を決める。それがルールである。

決定は通常、段階的にされる。
いきなり、最終決定には至らない。
結論が出ていたとしても組織に置き換える必要があるから、
いずれにしても、手順・段階を踏むことになる。
この事を念頭に置いておく。

問題なのは、決める為の段階がそのまま組織の階層を構築する事である。
何が困るかといえば、構想や主旨・目的、原則、規則を定める段階が、特定の階層に握られ、特権化してしまう事である。
そして、特権と階層が膠着すると、世代交代が起こり、その階層の人間がいなくなった瞬間、その階層が担っていた部分の働きが形骸化し、やがて失われていく。
特権が特定の階層と膠着すると、上位の階層に所属する者は、上位の権限に下位の者に、既得権を侵食される事を、極端に嫌がるようになる。
日本では、時代を経るに従って、経営トップ層、上級管理層、中間管理層、下級管理層と段階的に失われ、今や、担当者層しかいなくなってしまった。
その結果、経営決定、上級管理決定、中間管理決定、下級管理決定が出来なくなって、組織が、機能不全に陥っている。
つまり、決められた事しかできない状態である。
何も決められないままに大海を漂流しているのが、今の日本の組織である。

要件を満たさないと決定は、次の段階に映れない。
要件を満たさないと指示、茗渓は発行しない。
日限のない指示は要件を満たさない。
故に、指示として発効しない。
日限のない仕事は、底のないバケツの様なものである。
底のないバケツのような仕事は、するなと叱られた。

人が成長するように組織も成長していく。
ただ人は、老い衰える。
常に新鮮な魂が供給され続ける事で、組織は健全さを維持することができる。
組織は、成長に応じて脱皮していく必要がある。
組織は、硬直化すると、中心に近い処から腐り始める。

組織は、中心から空洞化していく。
不死鳥の如く魂が再生していかないと、組織は、急速に老い衰えていく。
組織は、自身の力で自浄できなくなると老朽化する。
組織は、中心の力、権力から腐敗する。
形は本質を失うと形骸化する。

今の日本には、創業者がいない。
日本の組織は、出鱈目に自己増殖している。
組織の科学、工学の基礎が消えうせた。
日本にあるのは、過去の遺物、亡霊達である。
組織はロジックである。
時代や環境、状況の変化に適合していかなければ、生存できなくなる。
なのに、現代の日本人は、過去の人間が作ったロジックの上で踊っているのに過ぎない。
現代人は、亡霊に踊らされている。
過去の亡霊の呪縛から解き放たれないと日本人は、破滅へと突き進んでいってしまう。

なぜ、今なのか。
その時が来ればわかる。
しかし、その時が来てから備えても遅いのだ。
だからこそ、今なのである。
我々は、何が何でも、子供たちを守らなければならない。
何が何でも守らなければならないものがある。
子供たちの為に、家族を、会社を、この国を守らなければならない。
だからこそ、今なのである。